震災から11年、私の記憶。東日本大震災の経験から得た家族を大切にする気持ち

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2022年3月11日で、東日本大震災から11年になります。

11年前は我が家にとって大きな節目となる年で、いろいろなことがありました。

楽しいことも多かったのですが、それを上回るのが東日本大震災です。

未だにこの時期になると、小さな地震でさえも怯えてしまい、またあの地震のようなことになるのでは?と不安を感じてしまいます。

被災地(といえど内陸部なので大きな被害にはあっておりません)で私が経験したこと、感じたこと、そして11年経って感じる事などをお話しできればと思います。

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東日本大震災は子どもの成長の記録でもある

我が家の震災後から今までの11年は、子どもの成長と共にあります。

長男は2010年7月生まれです。

震災の時はまもなく8ヵ月という頃で、動き回るようになり目が離せない時期でした。

長男の同級生はほとんどが震災前に生まれている子なので、ママ友などと「あの時は本当に大変だったね」と話したりしています。

2010・2011年度に生まれた子ども達、特に被災地に近ければ近いほど、震災とその人生は離れることができません。

かわいそうな気もしますが、それも運命なのかもしれないなと思っています。

私と東日本大震災

3月11日の2日前に大きな余震があったのを覚えていますか?

あの日あの時間(確かPM0:00前です)私たち家族は、とある大きな契約をしに車を走らせていました。

車がいつもより揺れているな、そんな程度でしたが、約束の場所に着くと担当者の方が大慌てで出迎えてくれました。

今思うと前震なのですが、「こわいですねー」などと話しながら契約をしています。

大きな契約とは、住宅購入の仮契約でした。

当初の計画では、この日に仮契約して、3月末に本契約をすることになっていました。

地震があったからということもあったので、「大きな地震があって家に何かがあったらどうなるんですか?」と聞いています。

本契約ではないので、私たちには一切負担がなく、もし建物に大きな損傷があった場合でもメーカーが建て直し(または修理)をしてくれるとのことで、「まぁそんなことほとんどの場合はないと思いますよ」なんて言われたのが印象的に残っています。

子どもが生まれたばかりで、数か月後には新しい住まいに住むことができると、ワクワクした気持ちでした。

新しい家具も欲しい、子どもの部屋には何を置こうか?数カ月先の準備が楽しくて購入予定の家まで毎日散歩をしていました。
(その頃住んでいたアパートから、現在の家までの距離は徒歩で10分ほどの距離です)

日が永遠に続くのではないかと思うほど長かった

3月11日は、主人の仕事明け(夜勤のある仕事です)に主人の実家に向かっています。

住宅購入を決め、仮契約をしたことを報告に行ったのですが、子どもを囲み楽しい時間を過ごしていた時に揺れが始まりました。
一瞬の縦揺れのあと、
「あ、地震だ」
そう思った瞬間にものすごい横揺れが起き、身体全体を揺さぶります。
「子どもをちゃんと抱いていろ!!」
テレビを押さえながら主人が叫びます。
「やだ、無理だよ、怖いよ」
私は我を失い、子どもを抱くことすらできません。
通常の地震であれば、その揺れは長くても数十秒、体感としても1分以上は感じないはずです。
揺れは収まらず、どんどん大きな揺れになり、一瞬揺れが収まりかけてもまた揺れ始めるように感じました。
きょとんとする子どもを抱くことができたので、しっかり抱きましたが、私はその場から逃げたい、揺れから離れたいと思い、子どもを抱きかかえ庭に出ようとしましたが、義母に止められます。
家にいては潰されてしまう、逃げなくては、揺れから離れなくては、怖くて私はそのことしか考えることができません。
揺れが収まった後、周りを見渡すと主人が押さえていたテレビは窓にぶつかり、窓が壊れています。
義母が押さえていたサイドボードは、上部が飛び出して落ちています。
何が起きているのか分かりませんが、とにかくもの凄いことが起きたことだけは分かりました。

その後、義母に自宅を確認してくることを勧められ、車で帰宅をしますが、主人が運転をしてくれましたがどのような経路で戻ったかは覚えていません。

帰宅した我が家は思ったよりも被害が少なかったのですが、家の壁にクラックが入り、一瞬でこの家にはもう住めないと理解できました。

家族との再会

私の両親は太平洋側の沿岸部の市に住んでいます。

高速道路がなければ、津波被害に遭っていただろうといわれている地域に住んでいます。

震災直後は何も情報がなかったため、安否を確認することができず、不安を感じるばかりでした。

両親と弟家族の無事は翌日には確認できました、ほっとしましたが、直接会ってはいないので安心することができません。

本当であればすぐにでも実家に戻り、家族の無事を確認したい!そう思っても、過去の大地震(宮城県沖地震)の影響でPTSD(心的外傷後ストレス障害)であり、当時の私は車を運転することができなかったので、主人の「必ず家に連れて行くから待ってろ」という言葉を信じて待つしかありませんでした。

私としては1ヶ月以上待たされたような気がしましたが、実際には約1週間後に実家に行くことができました。

母は、沿岸部の住民が避難している小学校でボランティアをしていると聞いていたので、余裕のある子ども用のミルクやオムツを持って向かいました。

義実家に子どもを預けて車を走らせていると、今まで気づかなかった周りの状況が見えてきます。

内陸部であっても大きなビルや住宅が倒壊し、道路は地割れが起きています。

これが今まで私たちが暮らしてきた場所だったのか?何も言葉が出てきません。

実家に近づくにつれ、津波が飲み込んだ家々も見えてくると涙が止まりませんでした。

自分が慣れ親しんできた場所が見るも無残な姿となり、思い出の欠片すらないのです。

実家に着き、母が小学校にいると聞いたので、小学校に向かいました。

母の元気な姿を見た瞬間、本当に生きていてくれて良かったと安心し、大声で泣く私。

「恥ずかしいから泣かないの!」と言っていた母でしたが、母も少しだけ涙を流していました。

初めて親子で泣きました。

親(特に母)が自分の中でどれだけ大切な存在であるのか分かった瞬間です。

震災から得たこと(まとめ)

震災から11年、長くも感じますが短かったなぁとも思ったりします。

11年の間に街並みは大きく変わり、私の家族も3人から4人に増えました。

いまだに、地震が起きると身体が硬直し、この揺れから逃れたいという気持ちになり、誰か自分を助けてくれと叫びたくなります。

11年過ぎても経験した地震への恐怖心は消えることがありません。

私の場合には、不安を感じている時に家族へ連絡をして、気持ちを落ち着かせています。

離れていても私の不安を理解してくれ、寄り添ってくれる家族に感謝をしています。

震災時も今現在も私の心の支えとなってくれる家族、家族の存在がなければ今の私はいなかったかもしれない、そう思うことがよくあります。

何とも言えぬ不安に押しつぶされそうになり、この苦しみから逃れたいと思った時も家族が支えてくれました。

震災がなければ平和に過ごしていたかもしれませんが、親のありがたみや家族の大切さをこれほど感じる事もなかったでしょう。

東日本大震災のような災害が起きないことを心から願いますが、日本は地震大国、逃れることができません。

常日頃から災害時の準備と心構えをしておくことと、家族との繋がりを確認しておくことも大切だと感じています。

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