親を大切にするという気持ちは万国共通でありますが、地域や国によっては考え方が大きく異なるようです。
日本や中国などは「親を大切にする」、アメリカやイタリアなどでは「家族を大切にする」同じようにも見えますが、同じとはいえない部分もあります。
「親を大切にする考え方」
「家族を大切にする考え方」
この違いはどこから生まれてきたのでしょうか?
親孝行の起源にも繋がる考え方について、ご紹介をしていきます。
目次
親孝行は東洋・西洋では考え方が違う
親孝行の「考(コウ)」という文字は、子が親を大切にする・祖先を大切にするという意味があります。
漢字の成り立ちは
「杖をつく老人」「子ども(乳児)」の象形を合わせて、年寄りを支える子を意味しています。
ここから親に尽くすなどの意味が成り立ちました。
親に尽くす行為(孝行)が親孝行であるということになります。
これは日本を含む東洋の考え方であり、東洋思想特有の倫理観・考え方といえるでしょう。
生まれ持っての感情というよりは、親を大切にすることが良いことと代々伝えてきた結果・現代のような自然と親を想う気持ちが生まれてくるようになったようです。
この親を思いやる気持ちに繋がる倫理観を生んだものは、古代中国が起源になっています。
東洋では親孝行の考え方がありますが、西洋も同じような考え方やルーツがあるのでしょうか?
西洋の習慣や考え方を調べても「親孝行」と同類の意味を持つ言葉や行動を探すことは難しく、親孝行を行わないとはいえませんが、考え方として東洋の親孝行は通じないと思います。
理解はできるけど、東洋のように思想や倫理観とまではいかないようです。
親孝行の起源は中国にあり?
西洋には親孝行という考え方がないというのが一般的で、親孝行の起源は中国であるという考えがほとんどです。
親孝行という概念は孔子が起こした儒教の教えが元となっているとされています。
儒教(論語)では「親は敬うものであり、従うもの」という記述が数多く、親を大切にすることを重要視しているのです。
孔子がいた時代は家父長制度(家長が絶対的な権力(支配・統率)を持つ家族形態)が取られていた時代でありました。
家長として家族を養ってきた父親(と母親)に尊敬の気持ちがなければ「考(親に尽くすこと)」はできないといっております。
心配をかけてもいけないので、自分の身も大切にすることも説いています。
この儒教の教えが東洋思考となり、現代の親孝行の形になったようです。
親孝行は親ありきな考え方で、親によって人生を翻弄されてしまうこともあったようです。
私が大好きな中国ドラマ「三国志 ~司馬懿 軍司連盟~」では、主人公となる司馬懿(しばい)は父親・司馬防(しばぼう)の死去後、その悲しみに耐えきれず職を辞して帰省したいと申し出ます。
親が亡くなると3年喪に服し、職を辞することが当たり前であるともいわれる時代の中で、司馬懿はそれを行なえなかったため(自身の理由ではなく政治的理由により)、敵対する相手から司馬懿は親不孝だといわれてしまうのです。
苦痛であり屈辱的なことであるとドラマの中では表されています。
泣いて喪に服させてくれと懇願するほどです。
常に親を立てて、親の敬う姿勢はまさに孔子の教え・東洋思考といえましょう。
西洋では親孝行というよりも家族愛を大事にする
西洋には親孝行という言葉や考え方はないといいましたが、決して親を敬う気持ちがないということではありません。
あくまで東洋的な親孝行という考え方がなく、逆に親に対する愛情は東洋以上の部分もあります。
西洋では、親を大切にするという考えよりも家族・一族を大切にする考え方の方が強いかもしれません。
親ばかりではなく、自分と繋がる人への愛情が強く、それは血縁関係でなくても同じようです。
家族が集まり・両親の記念日を祝ったり、週末には食事をすることも多いです。
家族を大切にする国というとイタリアを思い出す人も多いと思いますが、イタリアはマンマ(母親)を中心として家族関係ができているといって良いほど、母親との繋がりが強い国です。
イタリア人男性はマザコンだ、などといわれるほど母親を大切にするのですが、彼らの感覚としてはマンマへの愛情ではなく、マンマも含む家族への愛情が強いという人が多いといいます。
東洋よりも濃い家族関係・親子関係という印象を受けます。
仏教の教え
儒教の教えが親孝行の起源であるといいましたが、儒教の教えと同じように捉えられるのが仏教です。
仏教も親孝行を示しているのでは?と思われるかもしれませんが、仏教の教えでは親孝行について語られることはありません。
儒教は「両親(家長)を大切にする」ことを説いていますが、仏教の場合には個人の生き方についての教えを説いています。
しかし、日本の仏教では本来の仏教の考え方と異なる部分があり、儒教の宗教性が根付いているともいわれ、仏教にはなかった「考」の思想が入っているのです。
お盆の風習や命日に仏壇に手を合わせる行為も、儒教の教えである部分になります。
キリスト教の教え
親孝行の考えがなく、家族愛の強い西洋では個人主義の方が強いため孝行という考え方がないともいわれています。
旧約聖書の中には「あなたの父母を敬え」という戒律があります。
「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きながらえるであろう」と続いています。
親孝行をすれば幸せになれる、捉え方の違いもあるかと思いますが、東洋の親孝行の考え方とは異なるようです。
旧約聖書の中にはルツ記(有名な絵画「落穂拾い」の題材になっている話)のような、義母ではありますが母親を敬うことで自身が幸せになる話も残されてるので、親を敬うという考え方が全くないとはいえません。
儒教と、仏教・キリスト教の親孝行(または親を敬うこと)の考え方は異なるものと解釈したほうが良いといえます。
現代にも通ずる親孝行は儒教の考えが色濃いものであるようです。
まとめ・内容は異なれど親を大切にする気持ちは世界共通
親孝行の起源についてご紹介しました。
私たちが知っている親孝行の起源は孔子の儒教の教えの影響が大きく、東洋独自の考え方であるといえます。
親孝行の起源については諸説ありますが
- 東洋では親孝行という概念や起源(概念や教えに繋がる)がある
- 西洋には親孝行という概念がない
- 東洋=儒教の教えが強い
- 西洋=キリスト教(聖書=家族愛)の教えが中心
- 日本に伝わっている現在の仏教の教えは儒教の内容が色濃く出ている
が親孝行の起源であり、親孝行の考え方の基になるものであるとなっているようです。
親孝行という世界共通のワードはなくても、考え方や親に対する気持ちは世界共通であります。
親子関係・家族関係が希薄になっているといわれている日本ではありますが、家族のことを考える時間が増えた今だからこそ、もう一度自分の家族について考えてみるの良いですね。

家族や親孝行とは無縁と思っていましたが、結婚し子どもが生まれると親と親孝行がとても大切なものなのだなと思うようになりました。
なかなか面と向かって親孝行や家族に感謝するのは恥ずかしく感じることもありますが、恥ずかしがらずに親孝行していきたいと思っています。
まずは家族も親も元気が一番!ですね。