家族の目を見て挨拶してますか?ー意思疎通できていますか?

家族の目を見てアイキャッチ ブログ

朝起きて、一番最初に顔を合わせた誰かに、「おはよう」とあいさつをする。
小さい頃から、『挨拶運動』等として、小学校で叩き込まれた世代にとっては、当たり前のことかもしれません。

が……

実は、小学生~大学生の子供の居る家庭で、この「朝のあいさつ」をしない環境が約3割あることも事実です。

もちろん、起きた時、既に自分以外の家族が全員外出していて、挨拶をする相手がいない、という状況もあるでしょう。
それでも、1日の始まりに、誰かと顔を合わせて挨拶をすることがないというのは、何となく寂しく感じてしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この記事では、朝の「おはよう」の意味と共に、目を見て挨拶することの重要性についても、ご紹介します。

目次

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朝の挨拶「おはよう」の意味

おはよう

これは漢字で書くと一目瞭然です。

「お早う」、つまり、「早くからお疲れ様です」という、朝早くから動いてきた方へのねぎらいの言葉がいわれとなっています。

一節によると、朝早くから準備やお稽古で舞台裏に入る歌舞伎役者さんに対して「お早い御付きで」といった声掛けが発端だとか。

要するに、「早くから起きてきて、すごいですね、尊敬します、素晴らしいですね」といった風な「敬意」や「親愛」を込めた言葉なのです。

目を見て挨拶することの重要性

目を見る2

「おはよう」の意味がわかったところで、この挨拶をする時に、大切なのは、「目を見る」ということです。

そんなの当たり前じゃない?と思ったあなた。
実はこれ、当たり前のようでできていないことの1つなのです。家族など、親しい間柄の人に対しては、特に。

実際、私が東京でOLをしていた時も、私が知る社員のほぼ全員が、自分とあまり関りの無い部署に出向くときは、上長を探して大きな声で目を見てしっかりと挨拶をするのに、朝、自分の部署に出社する際には、下を向いたまま何か作業しながら、ボソボソと挨拶をする方ばかりでした 笑

同じように、会社では気持良く挨拶する割に、ご家庭内で挨拶をする時は、目はテレビに行ったまま、ボソボソ…と挨拶している方も多いのではないでしょうか 笑

目を見るという行為の裏側

目を見る1

実は、目を見る、ということのベースには、一般的に

・意思疎通を図りたい
・信頼関係を築きたい

といった心理があるようです。
(重大な告白や大切な説得などという時は、また異なりますが…)

…え?!
一番大切な家族や、一番近い同僚たちと、意思疎通図らなくていいの?信頼関係築かなくていいの?!

と、思ってしまいますよね。。。

目を見ることは、言葉以外のコミュニケーション

父と子2

そもそも、目を見るという行為は、

・言葉にはならないもの、言葉の奥にある本心を探ろうとする
・言葉にはならないもの、言葉の奥にある本心を伝えようとする

行為でもあります。

ですから、私達人間は、好意を寄せている相手の目は遠くからでも追ってしまいます
逆に、嫌いな人・会いたくない人の目を積極的に見ようとはしませんよね。

何か伝えたいものがある、汲み取りたいものがあるから、目を合わせるのです。
汲み取られたくないもの、知られたくないものがあるから、目をそらすのです。


家族の目を見ない…
これは良からぬ疑いをかけられても仕方ないかもしれませんよ 笑

家族との意思疎通ー言葉だけでは伝わらないものもある

コミュニケーション

人は、時として、自分のテリトリー内にある物、いる人に対しては、既に「意思疎通が図れている」「信頼関係が築けている」と信じ込んでしまうあまり、「目を合わせる」という行為を忘れてしまうことがあります。

安心しきっているが故の落とし穴。

実は全く理解できていなかった、なんてことも往々にしてあるのです。

これは私と実父との話なのですが……

私は18歳で実家を出ましたが、離れてしばらくして、実家に戻った時、何気ない父親とのお喋りでふと目が合い、びっくりしたことがあります。

それは、父親の目から醸し出された「寂しさ」でした。

え…お父さんってこんな寂しそうな目してたんか…!と、密かに心が痛くなったことがあります。

もしかしたら、ただ18年一緒に過ごした娘が家を出て1人暮らしをはじめたことで、家が静かになってしまったことが寂しかっただけなのかもしれません。
自分の知らない世界のことを楽しそうに話す姿に、何となく置いて行かれた感を感じて寂しくなったのかもしれません。
もしくは、この娘も母に似て来たな、よく喋るな…等と、全く関係のないことを思っていたかもしれません 笑

それでも、当時の私は、いかに父の目を見ずに18年間過ごしてきたかの事実を突きつけられたようで、勝手にショックを受けたことを覚えています 笑

今となっては、その時の父の感情は計り知れませんが、当時、私には「どうしたの?なんか寂しそうだけど?」と問うことすらできず、父とのコミュニケーション不足を思い知らされたように感じました。

毎朝、おはようと挨拶を交わしていても、父の目は愚か、顔すら見ていなかったかも……
そんな事実に気付いた瞬間でした。

父と子

そう。
共に過ごす家族の目って、意外と見ているようで見ていないのです。
近すぎるが故に、安心しきってしまうのです。

 

「言わなくてもわかるだろう」という、アレです。


でも、言わないと、わかりませんよね。気付けません。
同じです。

目を見ないと、気付けないことが、実はたくさんあるのです。

気付かないから、言葉によるコミュニケーションも取らない、さらに目を合わせない…と、どんどんと距離が広がってしまいます。

最近、ご家族の目を見ましたか?ー毎日の挨拶で目を見る癖を。

家族

いつもいる。
必ずいる。
いて当たり前。

そんな家族ですが、だからこそ、言いたいことが言えなかったり、心とは裏腹に気を使ったり、しかもそれに、本人自身が気づけなかったりすることは、多々あります。

ちょっと、勇気を持って、パートナーやご両親、お子様、共に過ごす仲間たちの目を見てみて下さい。
その目がどんな目をしているか、どんな感情を湛えているか、よく見てあげてください。


目を見るという行為は、

・あなたに興味を持っているよ
・あなたと意思疎通したいよ

というメッセージでもあるのです。

目を見ることが恥ずかしかったら、最初はゲームでもいいです。

お子様が小さかったころは、あっぷっぷーといった遊びで、しょっちゅう目を合わせて遊んでいたのではないでしょうか?

・だれかに、興味を持ってもらっている。
・だれかが、自分を気にかけてくれている。

 

それがわかるだけで、人は随分安心できます。次の1歩が踏み出せるのです。

 

本当に大切なものは、目をそらしていては見えません。
ぜひ、家族の目を見て、挨拶する習慣を。