苗字とは、日本の家(家系、家族)の名のことであり、法律上では氏といわれています。
生まれた時から名前とは別に名乗っているものであり、簡単には変更することができないものになります。
当たり前のように名乗っている苗字ではありますが、どうしてあなたとあなたの家族はその苗字を名乗るようになったのでしょうか?
日本人が使用している苗字は約30万種類もあり、旧家や名家でない限り、苗字の由来や成り立ちは分からないものです。
苗字にはそれぞれ歴史と由来があります。
今回は、苗字ができた理由と苗字の由来などについて紹介します。
目次
日本に苗字ができたのはいつ頃?
日本人と苗字の歴史は平安時代にまで遡ります。
それまでは天皇が氏族に授けた「氏(苗字の元になる称号)」のみでありましたが、氏を授け過ぎて区別をすることが難しくなったため、個人を表すために使われたのが苗字です。
今現在の苗字とは異なるものであり、自由に名乗ることができましたが、居住地や地名を名乗ったものが大半でした。
平安時代末期には武士が台頭してきて、その領地を周知させるために苗字を名乗るようになりました。
イメージとしては「東京住んでいるから、俺は東京と名乗ろう」「あの人の家の前には大きな木があるから大木」、これが代々受け継がれていくことになったため、日本人の苗字の数は30万種類という種類が生まれました。
自由に苗字を名乗ることができたため、変わった苗字や全国で数件しかないような苗字も生まれました。
ちなみに、日本の漢字のルーツである中国の苗字の数は9000程であり、苗字の数が少ないといわれる韓国では280程度しかありません。
鎌倉時代になると、苗字を持つ武士を御家人として受け入れる際に苗字の管理をし、室町時代以降は民衆にも苗字が広まりました。
苗字は高貴な人や身分の高い人しか使えなかった?
苗字は最初は誰でも自由に名乗ることができるものでしたが、戦国時代から安土桃山時代になると、天下を統一した豊臣秀吉が武士と農民の身分の分離政策(兵農分離)を進めることによって、苗字を名乗れるのが支配階級と特権とされ、庶民が苗字を公称することができなくなりました。
江戸時代になると、苗字が身分の象徴になったため、武士等の特権階級や一部の庶民(庄屋・名主)を除いて苗字を公の場で名乗ることができなくなってしまいました。
時代劇などで「〇〇屋長兵衛」などといったような名前を聞いたことがあるかもしれませんが、これは「〇〇」の部分が苗字となりますが、元々持っている苗字に「屋(屋号)」を付けることで苗字を使うことができましたが、苗字自体は持つことができたそうです。
苗字は明治時代になるまでは、庶民が名乗ることができないものでありました。
「平民苗字必称義務令」
苗字に関して大きく変化をしたのが、明治8年に制定された「平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい)」の発令でした。
平民苗字必称義務令とは、1875年(明治8年)2月13日公布され、すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けた法律です。
明治新政府により従来の身分制度が再編され、華族及び士族(この両者は公家・武士の家柄がほとんどである)に属さない平民に「苗字」の使用を許可しました。
しかし、あえて苗字を使用しない者も多かったために、1875年(明治8年)に改めて名字の使用を義務づける「苗字必称義務令」を出しました。
当時の人々は苗字を名乗ることで新たな課税をされるのではないかと思っていたそうです。今まで以上に管理されてしまうことを心配したのでしょう。
現在でいうとマイナンバーカードに対する私たちの反応と同じようなものではないかと思います。
役人たちはあの手この手で人々に苗字を付けてもらうように努力をしたといいます。
人々は地名や元から呼ばれていた俗称、または御寺の住職や学のある人などに苗字を付けてもらったりしたそうです。
苗字の由来
日本には30万ともいえる苗字が存在します。
30万ともなると、自分の家族しか使っている人がいない苗字や、全国に必ずいる苗字などがあるのですが、それぞれどのような由来があるのでしょうか?いくつか紹介していきます。
佐藤
日本で一番多い苗字が「佐藤(さとう)」です。
クラスに最低でも1人、多いと5人くらいはいるのがこの苗字です。
病院などで、呼ばれたときには何人かが返事をしてしまったり、同姓同名と出会う確率も他の苗字を持つ人よりも多いです。
佐藤の由来は、大化の改新などで知られる藤原鎌足が元であるといわれています。
その子孫である藤原公清は、「左衛門尉」という重要な役職に任命され、そこで役職の「左」の字を取り「佐藤」と名乗るようになったという説が有名です。
その藤原公清が下野国(今の栃木県あたり)の佐野という場所に住んでいたため、「佐野の藤原氏」ということで「佐藤」を名乗るようになった、治めていた場所が佐渡であった「佐渡の藤原氏」で「佐藤」などの所説があります。
鈴木
日本で2番目に多い苗字であり、その由来は和歌山県の熊野であるといわれています。
本姓は「穂積」であり、収穫後の稲を積み上げたものを「ホヅミ」と呼び、ホヅミを積み上げるために立てた棒(神木)を「ススキ」と呼んでいました。
儀式自体をいつしか「スズキ」といい、儀式を執り行う人(リーダー)を「スズキ」と呼ぶようになったといわれています。
しばらくすると、スズキさんたちは藤白という現在の和歌山県海南市に移住し、藤白神社境内に、鈴木屋敷を建てました。
ここは今では「鈴木さんのふるさと」と言われています。
八月朔日
驚くかもしれませんが、この漢字は「ほづみ」と読みます。
同じ「ほづみ」の読みを持つ「八月一日」さんと起源をともにするといわれる、穂積の異形だそうです。
「穂積(ほづみ)」さんは「稲の穂を摘むこと」という意味を持っており、新穂を摘み贈る風習が旧暦の8月1日にあったことから、「八月朔日(一日)」の表記が起こったとされています。
全国で220ほどだといわれています。
東海林
東海林、どのように読まれるでしょうか?
読み方としては、しょうじ・しょうし・とうかいりん、があります。
とうかいりん、聞きなれない読み方かもしれません(普通に漢字を読めばそのままですが…)がこの読み方は山形県に多く、苗字自体では2万近くありますが、山形県に多い苗字です。
中国大陸から東海(日本)に来た林(りん)氏が、「東海林・トウカイリン」と名乗っていており、彼らの多くが承仕師(しょうじし)という職に就いていたので、「東海林・しょうじ」と呼ばれるようになって、「しょうじ」と名乗る人があらわれた。
という説があります。
本来は「とうかいりん」であったのですが、役職で「しょうじ」を名乗るようになる、だから読み方が異なるということになります。
我が家の苗字の由来や成り立ちを家族で調べてみよう
今回ご紹介した苗字の成り立ちは、諸説あるものであり、その中の1つを今回ご紹介しました。
調べるほどに謎が生まれてくるかもしれませんが、歴史はまだまだ私たちが分からないことがたくさんあるので、調べてみると面白いかもしれません。
30万も苗字があるので、驚くような由来を持つ苗字などもきっとあるはずです。
まずはご自身の苗字について、年末年始家族が揃った時に調べてみるのも面白いと思います。
弊社では、「家のあかし」として、先祖から代々受け継いできた家の証(家紋・家系)をカタチにします。専門のプランナーが家族の歴史を後世に伝えていくサポートをさせていただきます。
家のトレードマークとして代々受け継がれてきた家紋。
家紋を改めて形に残すことで先祖を想い、敬う大切さを家族に伝えることができます。
興味関心のある方はぜひ記事をご一読いただければと思います。
家族や親孝行とは無縁と思っていましたが、結婚し子どもが生まれると親と親孝行がとても大切なものなのだなと思うようになりました。
なかなか面と向かって親孝行や家族に感謝するのは恥ずかしく感じることもありますが、恥ずかしがらずに親孝行していきたいと思っています。
まずは家族も親も元気が一番!ですね。