今も昔も親孝行は大切であるといい、親孝行をするべきだ!といわれたりします。
ある程度の年齢やきっかけがないと、親孝行をしなくてもいいだろうと思ったりするのは今も昔も変わりがないようです。
「親孝行 したい時には 親はなし」
などということわざがあるように、したくても親がなくなってしまっては意味がありません。
江戸時代も同じではありましたが、なんと親孝行ブームがあったそうです。
江戸時代の親孝行ブームと江戸時代の親孝行、落語で見る親孝行について紹介します。
目次
江戸時代には親孝行がブームだった?
親孝行がブームになる?
親孝行が流行るというのもおかしなものだと思うかもしれませんが、親孝行な子どもたちを「孝子」と呼んで、幕府や藩が表彰し褒美を与える「孝子顕彰(こうしけんしょう)」が盛んに行われるようになります。
孝子と呼ばれる子どもに、人々が心動かされ、社会現象にまで発展したとまでいわれています。
今も昔も感動するような話が人は好きだったということなのでしょうか?
親孝行な子どもは時には「神」とまで崇められたというので、そのブームでありフィーバーぶりがうかがえます。
孝子顕彰とは
江戸時代、徳川5代将軍綱吉が実施した制度です。
綱吉が実施した孝子表彰とは、全国に「忠孝札」を掲げ、忠孝を奨励し、孝子顕彰の制度を設けたといいます。
綱吉というと「生類憐れみの令」を出して動物の保護を命じた将軍です。
特に犬を極端に保護したため、「犬公方」と呼ばれたことで覚えている人も多いかと思います。
犬好きだけではなく、学問好きでもあり、江戸の湯島に聖堂をたて幕府の学問所とし、朱子学を幕府の正式な学問とした。
儒学も愛好していたため、二十四孝などのなどを基にした親孝行(忠孝)をした者を表彰したのです。
人々も親孝行者は表彰されとあれば、人々はこぞって親孝行をしたので、ブームが起きたということになります。
物や名誉に釣られて、親孝行…微妙な感じですね。
「忠孝札」は儒学の親を敬う精神を人々に浸透させるために建てられたとされており、孝行よりも儒学を広めたいという気持ちが強かったようですが、結果的に人々は親孝行をするようになったので、良い制度であったといえるでしょう。
親孝行で物乞い?
孝子顕彰されるような子どもばかりであれば、良い世の中になったのでしょうが、良い人がいれば悪い人もいる。
親孝行を悪用する子どもも出てきます。
天保年間(1830~44)に登場した商売で老いた親を背負い「親孝行でござい~」と呼ばわりながら銭を乞うというものです。
「なんだい、感心だね」と感じいった人は男に銭を渡すというものだったそうで、今はとても考えられない商売といえます。
「親孝行」で物乞いするというのも凄まじいことですが、これがさらに凄いことになると、男が背負っている老婆が実は親でもなんでもなくただのハリボテ人形だということもあったそうです。
それでもお金を渡したのでしょうか?それとも渡さなかったのでしょうか?気になりますね。
ちなみに、本物の人間2人組が片方を背負って「親孝行」することがほとんどでした。
本来の親孝行といえるものではありませんが、こんな商売が江戸では成り立っていたというのですから、江戸の凄さが分かります。
落語で見る江戸時代の親孝行
ここからは落語の中から江戸時代の親孝行を見ていきましょう。
面白可笑しく表現されていますが、江戸時代ではよくある話であり、教訓とされる話ばかりです。
里帰り
3年前に嫁いだ娘が実家に戻ってきて「夫はいい人だが姑との折り合いが悪くて帰ってきた」というではないですか?娘が行きたいといって嫁いだのだから多少我慢が必要だと父親は諭しますが、どうしても帰れというならば、母親を殺すと言い出します。
困った父親は白い粉を娘に渡します。娘はすぐに姑に飲ませて殺すといいますが、すぐに殺しては娘が殺したと分かってしまうので1年頑張ってから殺しなさいと伝えます。
嫁ぎ先へ帰った娘が再び実家に帰ってきた時、娘は周囲から世界一仲の良い親子だといわれるようになったと話、父親からもらった白い粉を返します。
白い粉は実はうどん粉であって、父親は娘が姑を殺したりしないために、嘘をついて時間をかけて気持ちを落ち着かせるために渡したそうです。娘が姑に孝行をすることで、姑も親切にしてくれるようになると思ったので嘘をついたと教えてくれました。
佐野山
相撲取りの佐野山は大変な親孝行で、親が病になってしまいますが貧乏だったために食事を減らしていたため、初日から黒星続きだったそうです。
それを知った横綱の谷風が千秋楽に佐野山と取らせてほしいと願いを出します。
取り組みを知った江戸の人々は女を巡った遺憾相撲だと囃し立てましたした。
千秋楽の結びの一番で、谷風は佐野山に負けてしまいます。
大金星となった佐野山には、祝儀が投げ込まれ大騒ぎとなりました。
そのおかげで佐野山は親孝行ができたといいます。
実在の横綱谷風と佐野山、谷風と佐野山は実際には取り組みをしたことがなく、谷風は八百長相撲などはしたことがないので、フィクションですが佐野山の孝行を讃えた話となっています。
まとめ
江戸時代の親孝行について紹介しました。
幕府が親孝行な子どもを表彰したことにより、親孝行ブームが起きたというのも驚きですが、親孝行で金儲け(とまではいきませんが)をしようとする人々も出てきたこともびっくりしてしまいます。
親孝行をすることは良いことですが、それは親に対する感謝の気持ちであり労いの部分もあるものであり、決して表彰してほしい、親孝行で有名になりたいという気持ちではなかったはずです。
現代でも時折親を使って金儲けをするような人がいますが、それは親孝行とはいえません。
感謝の気持ち、親を敬う気持ちがあってこその親孝行ではないでしょうか。
家族や親孝行とは無縁と思っていましたが、結婚し子どもが生まれると親と親孝行がとても大切なものなのだなと思うようになりました。
なかなか面と向かって親孝行や家族に感謝するのは恥ずかしく感じることもありますが、恥ずかしがらずに親孝行していきたいと思っています。
まずは家族も親も元気が一番!ですね。