家族と働ける環境がある人へ – 親と一緒に働いた方がいい理由

家族写真 40代にとっての家族

「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン

今回はお父さんとは別の会社を同じ業界で立ち上げ、事業内容を実質承継し、お父さんと一緒に働く堀川さんのお話です。
ある日突然家にうさぎを持ち帰ったり、毎年山の中で年賀状用の写真を撮ったりするお父さん。
仕事が忙しく家にほとんど居なかったお父さんの印象は良くなかったそうですが、一緒に仕事をすることでそのイメージが変わったと話します。
「偉大な父」と思うようになった背景、一緒に働くことの良さをお話いただきました。

 

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プロフィール

名前:堀川泰弘
生年月日:1981年3月27日
職業:有限会社ハンズ・アッシュ 代表取締役

犬がいたり猫がいたり。父は不在が多いけれど穏やかな家族

父、母、3つ下に妹がいます。

小学生の頃は猫がいたり犬がいたり、いなかったり。猫は母が拾ってきたり、犬は動物霊園などに出ている里親募集からもらってきたりして飼っていました。

あとは野良猫が勝手に入ってきていたこともありましたね。

その時はあまり気にしていなかったんですけど、僕、今すっごくアレルギーで。言われてみたら子どもの頃も喘息みたいなのが出てたなと思います。

一度家を離れてみてから、実家に帰ってみるとすごくしんどくて。気付いてなかったんです、両親も誰も。

今も実家に犬と猫がいるんですけど、掃除はしてくれてるんですけど、やっぱりね。薬を飲んでいっても2時間3時間ぐらいしたら鼻水ずるっみたいな。アレルギーですね(笑)。

母は、僕たちが小さい頃は専業主婦で、僕らがある程度大きくなったら、仕事に出ていました。
近くに高校があったんですけど、知り合いがそこの事務員で働いていたようでお手伝いというかパートのような感じで何十年かしばらく行っていました。

僕はその高校じゃなかったんですけど、その高校に通う同級生が、僕の母親ということで絡んでいたみたいです。

子どもの頃、妹は常に僕のうしろについてきて遊んでいました。僕の友達にも可愛がられていて、けっこう活発で、妹の友達も一緒に遊んだりしていました。

当時は仲良かったですね。今は普通です(笑)。

妹も結婚しているので、正月やお盆、ゴールデンウィークなどのそういう節目は集まったりしています。

僕は誕生日が3月の末なので、小さい頃は周りと比べると成長が遅く、幼いというか子どもというかそういう感じがあったので、同級生だけど可愛がられるといった感じでした。

母親も同じ学年の子と比べて成長が遅いのを気にしていたようで、そういう話を後から聞きました。

弟分的なキャラクターは、中学校ぐらいまで続いていたかもしれないです。
小学校のときの「体が小さい」とか「ちょっと子ども」みたいな周りからの印象がそのまま中学校でもあったという感じです。中学1年生ぐらいまでは体が小さめでした。

あまり人のことについて言わない母ですが、大人になって外にご飯を食べに行くとき、僕はいつも忘れ物がないか最後にチェックするんです。会計が終わってみんなが行った後、席に戻ってチェックする。そういう部分は昔から変わらないとよく言われます。

親と喧嘩するということもなく、穏やかな感じの家族でした。
僕自身、自己主張が強い方ではないので。ただ「サッカーがしたい」とか「高校はここに行きたい」とか「大学はここ」とか、そういうのは勝手に自分で決めていました。

それに対して両親から反対されたとか、こうしてほしいとか、そういうのはなかったです。

母親は基本何も言わないですね。ほんとに見守っている。父親に対してはどうか分からないですけど、子どもに対してはそういうところがあったと思います。

父親に関しては、好きなことをやっている。やり続けているという印象です。

僕もそういう部分があるんだろうなぁと思いますね。

僕の子どもが今6歳で、自分の親の育て方を意識していることはないですけど、潜在的に影響を受けている部分はあるかもしれないです。

基本的には土日はなるべく一緒に遊ぶ時間をつくっています。自分が父親からしてもらっていなかったので(笑)。
平日は僕も父と一緒で全然時間がとれませんが、それでも朝は幼稚園に一緒に行ったりしています。

車で行く四国旅行の思い出

父は広告デザインをやっていて、かなり仕事一筋でした。あんまり家にいることがなく、土日も仕事で出ていたりとかしていて、夜遅くて朝遅いというすれ違いの生活リズムでした。

土日はいなかったんですけど、大人の休みの時、お盆とかそういう時は旅行に連れて行ってくれていました。新幹線でも飛行機でもなく車で。

車で四国、高知の方まで行ったりとか、フェリーで宮崎の方まで行ったりとか。遠距離なんですよ。子どもにとったらけっこう苦痛で(笑)。行けば楽しいんですけどね。

よくやっていたなと思います。今自分がそれをやろうと思ったらしんどいですね。

年に1回は必ず車で旅行に行っていました。

覚えているのは高知です。足摺岬に行ってホエールウォッチングをしました。船に乗ってクジラを見て。よく覚えています。

父はそういうのが好きみたいです。こっちは毎年「どこに連れて行かれるんだ」みたいな感じで。特に子どもの行きたい場所を聞くということはなかったので。

旅行もそうなんですけど、誕生日プレゼントも自分で決めてないんです。もらうんですけど、自分がほしいものとかではなくて。

逆に自分があげる側だとしたら「なんでこれ選ぶんやろ」というものばかりでした。地球儀とか。

地球儀に、自分が行った国のところに印がしてあったんです。もちろん自分というのは父と母。「あ、あぁ。ありがとう」という感じでした(笑)。

毎年恒例「森で年賀状用の写真を撮る」こと

毎年、年賀状の写真を撮りに行くんです。
毎年同じ場所で年賀状に使う写真を撮るというのが家族の行事。

その場所が山の中なんです。山というか森というか。
絶対同じ森の、同じ場所で毎年撮るんです。自宅で作ってたんですけど、疑問には思わなかったですね。
その時はそういうものと思っていましたから。

大人になってから、「あれなんでやったんやろう」と(笑)。僕が高校生ぐらいまでは撮ってたんじゃないかなと思います。

三脚を持っていって、大体この場所かな、という感じで撮って。家からそんなに遠くないところでした。

戸籍上では他人だけれど「おじいちゃんはおじいちゃん」

親孝行は元気でいることだと思います。
母の日は今でもやっていますね。お花送ったりとか持っていったりとか。父の日はいつの間にかしなくなりました(笑)。

お墓参りはお盆などに行っています。両親と妹家族で日程調整して行くんですが、揃うのが難しいときは僕と父親ととか、個々で合わせて行っています。

父親は自分のルーツに興味があるみたいで、数年前にかなり調べたりしていました。たぶん家からそういう感じのものが出てきて調べ出したんだと思います。でも僕は全く興味がなく(笑)。

一応話は聞きましたけど、「へえ」ぐらい(笑)。

ご先祖の中に、前田利家がどこかの街の娘に手を出したときの子がいるそうで。「前田利家の血がちょっと入ってんねん」と言ってました。確かなのかは分かりませんけど(笑)。

父は長男で、ばーちゃんの家を片付けている時かなんかに何か出てきたんでしょうね。

今ばーちゃんは父親と母親と一緒に住んでいます。

父親方のじいちゃんは父が小学校の時に亡くなっています。でも僕にはおじいちゃんが居ました。おじいちゃんと呼んでいたけど、名字が違う。小さい時は何も思っていなくて、それこそおじいちゃんはおじいちゃん、おばあちゃんはおばあちゃん、というごく普通の感じです。

でもそのおじいちゃんが亡くなった時に、改めて分かりました。お葬式での距離感が、何をするにも僕らが一番最後だったので。

戸籍に入っていなかったので僕たち側は他人だったんですね。メインはおじいちゃん側の親戚。気は使ってもらってるんですけど、控えめというか、こちらも控えるというかそういう雰囲気でした。

そういうことが珍しい昔の人にしたら不思議ですよね。

本当のおじいちゃんが亡くなった後は親戚の家に住んでいたというような話はちらっと聞きました。苦労していたみたいです。小学校の頃に新聞配達をしていたと父から聞いたことがあります。

父からあんまり昔の話を聞かないので。ましておばあちゃんから話してくることもないですし。正月に、父たちが昔の話をしていたりするのを聞く程度でした。

父との関係、感じる母の思い

今僕は父と同じデザインの仕事をしています。最初から同じ業界にいこうと思っていたわけではないですが、でも小さい頃父の仕事を見せてもらって関心はあったんだと思います。

でもたぶん母親は一緒の仕事をしてほしいとか会社を継いでほしいというのは全くなかったと思います。大変だということを父の横でずっと見てきているはずなので。

父自身も一緒にやろうという感じではなかったですけど。
母親は口に出しては言わなかったですけどたぶん反対だったと思います。なんとなく、雰囲気でそう感じました。僕は性格などが母親に似ていて、お互い干渉しないんですけど、大体考えてることが分かるので。

母と僕、父は妹と性格が似ています。父と妹はちょっと変わってる(笑)。父と妹は分かりやすい感じです。
こちらは落ち着いて淡々と。だからあんまり深く喋ったりしなくても相手のことが分かる感じです。

僕は父と一緒に働いていますが、実質的には会社を継いだわけではなく新しく立ち上げています。

父は喜んでいるというよりは、どちらかというと同士みたいな感じです。対等みたいな。嬉しいとかそういうのではなくて、仕事仲間という感じです。

一緒に仕事をするようになってからは、普段も基本敬語ですし。

一緒に働くことに対して、つまづいたことがないからなんとも言えませんが、干渉しないということが大事かなと思います。

自分の中には2人います。

多かれ少なかれ文句はあるんですよ。それを抑え込むというか、抑え込めるように、冷静でいる、という感じです。

「今それ言うか…」と、そういう風に思ったりすることもあります。でもそんなに「ギャー」とは言わないですよ。オーラは出てると思いますけど(笑)。

よく聞くような、本当に嫌いとか、絶対一緒に仕事したくないとか、口をきかないとかそういうのは全然なくて、あくまでビジネスパートナーという感じなんです。
私情はあるけれども(笑)、というのがコツですね。

親や家族と働くことができる環境がある人へ

親や家族と仕事ができる機会があるんだったらやってみる方が良いかなと思います。

僕の場合はそれで父親の偉大さというか、子どもの頃に感じていたことが繋がっていったりしたので。

だからやっぱり父親のことを尊敬はしてるんです。
仕事に対してもそうだし、家族に対しても、そこまでたくさん家族サービスをしてたわけじゃないけど、少ない時間の中でもやってたんだなとか。

そういうのはやっぱり一緒に働いてみないと分からなかったことです。

一緒に働ける人って限られてると思うんですよね。
僕の場合は、一緒に働くことで父親の印象が良くなりました。

元は悪かったですよ。土日はぜんぜん居ないし、母親の負担は相当あっただろうなというのはなんとなく。

でもほんとに仕事が好きなんだなって。それが延長線でずっと40年も50年も続いているっていう。

それは一緒に働くようになって思えるようになったことです。もし同じ道じゃなかったら逆にちょっと離れてたかもしれないですね、距離感とか。

知ることができているから今改めて深く話すことがないです。でも知らなかったらほんとに分からないし。僕はこの環境を良かったと思っています。

ある程度自分の中で社会人としての経験を積んで、一緒に働けることができるタイミングがあるんだったら早めの方がいいかなと思います。

20代前半だとまだ早いかな。早すぎても遅すぎてもだめかもしれないですけど。僕は27歳ぐらいの時でした。
早いとは思うんですけど、僕のタイミング的にはよかったです。色々と外で社会人として経験を積んでからの方が、親とうまく一緒に働けると思います。

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