「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン。
世の中ではリモートワークが定着しつつある昨今、自宅での働き方や場所、家族との時間について思いを巡らせる方も多いかと思います。今回は、3年前に自宅併設のパーソナルジムを開業された梅川さんに、その思いと家族の思い出、原点についてお話を伺いました。
目次
プロフィール
名前:梅川 雅広
年齢:41歳(2021年3月現在)
職業:パーソナルトレーニングジム経営・トレーナー
これまでのキャリアについて
北海道函館市でパーソナルトレー二ングジム「Best Body・M」を運営し、代表とトレーナーを務めています。札幌の体育専門学校を卒業後、スポーツインストラクター、大手パーソナルジムでのトレーナー経験を経て3年前に独立。30代~50代のお客様を中心にトレーニング指導、食事指導を行っています。自分自身が40代ということもあり、これまでの経験の長さやお客様との世代の近さ(による悩みの共感・共有)に魅力を感じていただいています。減量などの数値目標を達成された後も、数年間に渡り長期的に通っていただけているリピーターのお客様も多くいらっしゃいます。
通勤時間0秒。ジムと自宅を併設した理由
かつて治療院だった一軒家を改築して、自宅とジムを併設しています。お客様用と家族用の入り口を分けて、双方が鉢合わせないような構造になっています。以前に勤めていたジムから独立するタイミングと、生前、父の介護を考え始めるタイミングが重なったことでそのような形になりました。
当時住んでいたところは、エレベーターのないマンションの3階。将来的に介護の度合いが進行した場合に、車椅子を部屋まで運ぶのが難しかったり、介護サービスを受けるにしても通院をするにしても、家族への負担が大きく掛かり大変だと考えたんです。介護用のベッドを置くためのスペースや、トイレにしても既存の住宅ではハードの問題があると思い、物件探しから始めました。
当初、住居とジムは別々に(契約することを)考えていましたが、単純に費用が倍になること、ジムは1階に作らないと騒音の問題が生じる点が気になっていました。人伝てに不動産屋を紹介してもらい、過去に治療院と自宅を併設していた空き物件にめぐり逢いました。
かつての待合室はカウンセリングスペースに、治療スペースはトレーニングスペースに使えたりと、自宅とジムを併設するイメージが湧きました。大通りに面していないことが集客的にネックとも思いましたが、ネットでも探してもらえるし、口コミや紹介で色々な人とつながることができる。今の時代に合わせて運営していけば何とかやっていけると思い、家族とも相談しながら購入と改築を決断しました。
扉一枚で職場(ジム)と自宅を行き来することができるので、仮にジムの予約がビッチリ入っていても、万が一のときにすぐ駆けつけることができたり、少しの時間で日常的な身体介助をこなすこともできます。施工を担当してくれた大工さんとも相談して、玄関も車椅子で入れるようにするなど、全面バリアフリーにしました。当時は「やるしかない。」って感じでしたね。
思い切った選択になりましたが、介護は長期戦だと覚悟していたからこそです。傷口だったら数週間すれば治りますし、あるいは骨折だったら基本的にいつか治りますが、一度介護が必要になると、状態がゆるやかに悪くなることはあっても良くなることはほぼない。母や兄も働いているので、自宅で介護をするとしても、施設に入って自宅に泊まるとなった場合でも、お互いが快適に過ごせる環境を目指しました。
電動ベッドや車椅子で一緒に食卓が囲めるテーブルも購入して万全の状態ではありましたが、施設や病院での生活が中心になってしまったので、父と新居で一緒に過ごせたのはジムを開設した年の年末年始が唯一の機会になってしまいました。寝泊まりをしていた期間は2時間置きにタイマーをセットして起きたりと大変でしたが、この1回のためだけでも、良い選択ができたと思っていますね。
「家族一丸」を体現。全員で取り組んだ陸上競技生活
20歳で専門学校を卒業するまで、小学校3年生から陸上競技に力を注いでいました。3つ上の兄と一緒に競技生活をして、家族一丸、「ファミリーで挑んでいた」という感じで、その頃の生活すべてが家族の思い出です。
通常の練習に加え、専門のコーチのもとで指導を受けたり、春・夏・冬の連休という連休は大会に出場したりとハードな生活を送っていました。両親は競技場や体育館への送り迎えはもちろん、練習もずっと観てくれていましたし、大会もほぼ100%観にきてくれていました。調子のいいときも悪いときもサポートをしてくれて、練習に参加できたりスパイクが履けたりと、競技に取り組める環境を当たり前のように作ってくれたことに感謝をしています。
特に成績が良かったときの大会は、家に帰ってきて父が撮影したビデオを何回も観ていましたね。父はずっと撮影担当だったので、レンズ越しに競技を観ることがほとんど。集中して観ることができるのはビデオだけだったんです。ときどき、「いけ!いけ!」って力が入りすぎた父の声がビデオに入っていました。僕らが社会人になってからも、父は当時のVHSをDVDにダビングしてずっと観ていました。「ほら観てみろ。」とか言われるんですど、さすがに「いや、いいから。」と言ったりしましたけどね。
知らないオジサンからも言われる。「兄弟仲いいね」
親戚はもちろんですが、何気ないエピソードを話しただけで、ジムのお客様からも「兄弟仲がいいね。」とよく言われます。親戚の叔母さんたちからすると、「(大人になった今でも)仲がいい」という感覚なのだと思いますが、全然知らないおじさんにも兄と銭湯にいたときに「仲いいんだね。」って声を掛けられたことがあります。その人はよく銭湯で見かける人で話したことはなかったんですけど、何回か(兄弟一緒にいるのを)見て、仲良さそうだなと思ったんじゃないですかね。
兄とは感覚が似ているので、お互いが誕生日に何か贈ろうとなっても大きく好みを外すことはないです。これがカッコいいねという感覚や視点がほぼ一緒。なぜ感覚が近いのかは分かりませんが、一緒に陸上をやってきたのもあるかもしれないです。
一緒に遊ぶとかではなく、練習も競技も記録や順位を争うレベルの中で、辛いことやきついことも一緒に共有してきました。今だったら絶対に耐えられないようなメニューもこなしながら、同じ苦しみを味わってきたので自ずと感覚が近くなったのかもしれませんね。
それに、家庭環境もあると思います。小さな頃から陸上の練習も大会も一緒に4人で行くことが普通でしたし、親の育て方が良かったのかも。特別な育て方をしたというわけではないと思いますが、僕たち2人も「(兄弟だから)こういうふうにしなくちゃいけない。」というのもなく、家族4人でいるのが当たり前という雰囲気を作ってくれていたことが大きく影響していると思います。
水曜日と日曜日は必ず家族でごはん。仲良し一家のこれから
水曜日と日曜日の夜は、母と兄と3人一緒に晩酌タイムなんですよ。もともと独立してこの家に住む前から、水曜日は働いていたジムが休みで日曜日が早上がりだったので、帰りに銭湯に寄って、自宅で飲んで、というのをやっていました。それをみんなで共有してやることになってイベントになり、水・日は銭湯に行き、早目の時間から飲みながらごはんを食べるのが習慣になっています。早くコロナが収まって、みんなでゆっくり一緒に旅行に行きたいですね。
何かをしてあげるっていうのも親孝行の一つではあると思いますが、健康で普段通りの生活をおくれている姿を、そして、元気で頑張っている姿を見せることが一番ですね。あと40~50年は元気でいるよ、という姿を見せていきたいです。あとはもうちょっと稼いで、早く自宅のローンを返して安心させてあげたいです。
「大事な人と一緒に過ごせる時間には限りがある。だから、一緒に居られる『今』を大切に生きよう。」を、一人でも多くの人に伝えたい駆け出しライター。