「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていくことが出来る家族孝行バトン。
前回インタビューさせていただいた陣内さんからバトンを繋いでいただき、
今回は夫婦向けのコミュニケーションアプリの開発をされている方にインタビューをさせていただきました。
家族孝行バトンを繋いで下さった方の記事はコチラ↓
https://media.aoitori.family/forty-family/story9/
目次
自己紹介
お名前:飯尾 彰悟
生年月日:1984年8月25日
職業:夫婦向けのコミュニケーションアプリの開発
出身地:群馬県前橋市
どのような家庭で育ちましたか?
オープンな家庭だったと思います。
僕の歴代彼女はおふくろは全員知っていますし、妹の彼氏のことも知ってると思います。
親に恥ずかしいから言わないとか。隠し事とかはなかったですね。
あと、おふくろが僕の友達と仲良くて。
僕の実家は特殊な建物で出来ているんですよ(笑)
丸太小屋のログハウス。
駅から車に乗らないと来れない場所にあるので、友達が家に遊びに来る時は親が車に迎えに来てくれるんですよ。
だから彼女や友達は、僕の親と会わないと家に来ることが出来ないようになっているんです(笑)
僕の部屋って吹き抜けの2階でドアの上があいているので、2階で話している声が1階に全部聞こえるんですよ。
だから僕の家に遊びに来ると、おのずとリビングで遊ぶことになるのでおふくろと話して仲良くなるという。
親父はおふくろとは真逆で全然話をしないタイプですね。
特に人が多く集まっているときは全然話をしないです。
実はおふくろは人付き合いをそこまでしないタイプなんですよ。
実家があるところは元々は小さな村で、全員同じ小学校・中学校に行って友達もずっと一緒。
おふくろは狭い世界で生きていくのを嫌っていましたね。
「習い事を行くときは誰も知らないところに行きなさい」と言われていました。
だから高校は友達がいないところに行きましたし、馴れ合いのない環境に身を置く機会が多かったと思います。
僕はもう5社目なんですよ。役員をやっている会社を含めると7社。
仕事多すぎますよね(笑)
だからこそずっと続いているコミュニティは家族だけですよね。
どんなお祖父ちゃん、お祖母ちゃんでしたか?
母方のお爺ちゃんは結婚を2回していて、戦争に行く前に子供が出来いたらしく、88歳で初めて長女に出会ったようですね。
父方のお爺ちゃんは、幼稚園児の親父を家において出稼ぎに行ってたようで、だから親父は一人で生きていく術を持ったみたいです。
僕とお祖父ちゃんは似ているとよく言われてました。
頭の回転が早くて口ばっかりで、周りを振り回して金遣いも荒い。
大体あってます(笑)
家族の大切さを感じる瞬間は?
一番長い時間を人間関係として過ごしているので、「おかげでこうなった」と思いますね。
家族のおかげで今がある。
家族に一番影響を受けていると思いますね。
あなたにとって家族とは何ですか?
良い意味でめんどくさい存在ですね。(笑)
こんなに一生懸命に向き合うことは他にないと思います。
家族のためにと思えば思うほど、辛いことも向き合わなければならない。
大切にしたい家族との思い出は?
僕は子供が三人いるんですけど、二人目と三人目の子供が生まれた時に、僕の実家に妻が一人で行ってるんですよ。僕が仕事でバタバタしていた時期で、僕の両親が妻のサポートをしてくれたんです。
普通は子供が生まれてすぐで大変な時期に、旦那の実家に行くって嫌じゃないですか。
世の中で言われている嫁姑ですよ。
思い出って一緒に何処かに行って楽しかった、というのが多いかもしれないですけど、僕にとってこの出来事がすごく嬉しかったですね。
子供時代に印象に残っている家族との思い出
親父から怒られたことって人生で一度しかないんですよ。
小学校低学年の時に、親父から「部屋を片付けろ」と言われて無視しておふくろと遊んでいたら、家の外に投げ飛ばされました(笑)
今でも鮮明に覚えてますね。
僕は怒られるとだまっちゃうタイプなんですよ。
おふくろにはよく怒られていたんですけど「何で黙っているの!?」と追い討ちがかかるんですよ。
今覚えば、黙らせるだけの話をした後に、答えられずにいる小学生に対して「なんで黙っているの」はひどいと思います。笑
家族とやりたいこと
父の事業を引退するまでに引き継いで形にしておきたい。
奥さん家族と一緒に旅行に行きたい。
同世代の方へのメッセージ
1日の中でもちょっとだけでも家族について想い、
一言でも二言でも自分の気持ちを表現するだけでも十分だと思います。
株式会社青い鳥(https://aoitori.family)
代表取締役 中村 昌史
福岡県宗像市出身
「親孝行」を通じて世の中の家族に幸せを運ぶ事業を行なっている。