「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン。
今回は、石川の親元を離れ、東京で一人暮らしをしているちょっと変わったセンスの持ち主かんゆや。さんにインタビューをさせていただきました。
お母さんの誕生日には、東京へ招いて好きなことをしてもらっている反面、お父さんには請求書の送付…と思いきや!?
斬新かつユーモアのある親孝行で思わずクスッとしてしまいます。
目次
プロフィール
名前:かんゆや。
年齢:30歳(2021年1月現在)
職業:不動産営業
出身:石川県
どんな家庭で育ちましたか?
私は在日コリアン3世です。おじいちゃんが朝鮮半島から日本に渡って来て、もともと日本にいた在日朝鮮人のおばあちゃんと出会って、という流れで父と母が生まれ、私が生まれました。
なので日本生まれですが、私はハーフとかではなく、日本人の血は全く入っていないんですよね。向こうに親戚もいないと思います。
今は姉、兄、私の3人兄妹です。めちゃくちゃアットホームな家で、家族全員仲良しです。
父は、見た目がよくゴリラみたいで、ダンディーと言われていて、よく働く人だけど子どものように喜怒哀楽が激しい人です。「ゴリラ」「ゴリちゃん」と呼ばれています。
最近私がzoomを使うようになったので、しつこく使い方を教えろと言ってきます。
流行に敏感で、真剣な顔でyoutubeを見ていたりするんですが、気になって覗いてみると「ラーメンランキング」とかそういうものばかり見てます 笑。
仕事は長い間、銀行役員をしていましたが、今は不動産業をしています。
家族とはよくテレビ電話をしていて、父からよくかかってきてます。私が不動産業界に入ったので、同じ業界の父に色々教えてもらっています。
おばあちゃん、おばばって呼んでいるんですが 笑。おばばは一緒に住んでいますが、はちゃめちゃな性格です。
私が小学校の頃、学芸会に金髪のカツラをかぶって、狐だとか熊だとかを首に巻いてきていました。ファーです、熊の毛皮。
そんな格好で学芸会に来るもんだから、私の衣装よりも目立っていました。名物ばばあでしたよ。正直性格は良いとは言えませんでしたけど 笑。
今はたしか86歳だと思うんですけど、とても元気です。
昔はすごく神経質で、うるさいおばばでしたが、今は欲とかプライドとかが抜けて、食べることが好きな可愛らしいおばばです。
ハウルの動く城に「荒れ地の魔女」というおばあちゃんが出てくるのですが、まさにあれで、おばばの変化は、性格も見た目もその荒地の魔女にめちゃくちゃ似ています。
未だに一緒にテレビを見ていると、「このアナウンサー、ブスやなー」なんてマウンティングをとったりするので、私は「どの顔がいうてるんや」とツッコんだりしています。
母は「聖母マリア」のような人です。落ち着いていて、いつも全力で家族の味方でいてくれる母です。料理もうまいし、家庭を守る優しい人。わがままな父と結婚できるのは母だけだと思っています。
昔から母は絶対、私を否定せずに受け止めてくれます。そんな優しくて芯の強い母です。
姉はよく喋る私とは真逆の性格で、ぼんやり、のほほんとしている感じです。私と違って手先が器用なので、たまにアクセサリーを作ったりしています。
兄とは全然連絡をとっていませんが、子どもみたいで明るい兄ですね。静岡で、新卒からずっと同じところで働いています。
実は、私には2個下の弟がいました。でも弟が22歳ぐらいの時に事故で亡くなりました。
弟はプロゴルファーを目指していました。父がゴルフ好きで、兄と弟を在日朝鮮、韓国人が通う朝鮮学校に行かせながら、ゴルフにも通わせていました。
そのうち弟は県大会で優勝したりして素質を認められて、プロゴルファーになるために推薦で神奈川の大学に行きました。
弟は小学生の頃から背が高く老け顔だったので、よく銭湯で、小学生なのに年齢確認をしないと小学生と信じてもらえていませんでした 笑。
小さい頃から聞いている音楽もサザンとか井上陽水とかだったので、今考えると結構渋かったですね。飲むお酒も芋焼酎とかなかなか渋いものが多かったです。よく飲みよく食べる弟でした。
印象深い思い出はありますか?
おじいちゃんの命日が大晦日なので、お正月用と、同じものですがお供え用の料理を、大晦日に役割分担をして家族で作っていました。
私はエビフライ担当で、弟は力があるので大根おろし担当。姉はチヂミを焼いていました。
父は市場で魚を買ってくる役割で、兄はいつも何もしません 笑。スノボに行ったりしていました。
お供え用の写真やりんごなどの果物をたくさん並べて、大晦日は供養、そのまま元旦は新年の挨拶的な感じでやっていました。
大晦日は、ガキ使を見ている兄と弟の馬鹿笑いが聞こえてきていました 笑。それが素敵な家族の思い出です。
あとは弟の思い出ですね。小さい頃より大人になった時のことの方が思い出します。
弟が神奈川のスポーツ大学に通っている時、その頃は私も東京にいたので、弟とご飯に行ったことが記憶に残っています。「ばばぁ!ご飯連れて行って!」とLINEが来たので、サムギョッサルを食べに行ったことをよく覚えています。
私が店を予約したのですが、方向音痴なので道に迷ってしまって弟とさまよった記憶があります。焼酎を飲んで、中年のサラリーマンみたいに悩みを吐く弟が面白かったです。哀愁を感じました 笑。弟とサシでお酒を飲めたこと、すごく良い思い出です。
親孝行はしていますか?
今は離れて暮らしているので、手紙とかプレゼントを贈るようにしています。
周りがそういうことをしていたので、自然と、それが当たり前かなと自分もするようになりました。
母に関しては、プレゼントと一緒に、誕生日月に東京に来てもらえるようにしていました。いつも家族のために時間を使って、自分のためにあまり時間を使えていないと思うので。
なので東京で母の好きなことができるように、一緒にプランを決めて、私がアテンドすることを誕生日の恒例行事にしていました。今はコロナの影響でできないですけど、3年間ぐらいは、1年に1回来てもらっていました。
父にはそんなことをしていないので、たぶん嫉妬しますね。笑
父には基本プレゼントを送っていました。洋服とかゴルフの帽子などをあげていました。
いつも自分で考えて贈っています。手紙は冗談まじりに、請求書風に書いて送りつけることをよくやっています。でもお給料が十分もらえていないときはできていなくて、前職に転職して自分に余裕が出てきてからできるようになりました。
次の誕生日には、私が持っているAirPodsがほしいとリクエストしてきています。すぐ流行のものを欲しがって、でもすぐ飽きるのがうちの父ですね 笑。
家族としたいこと、してあげたいこと
顔を見せることが大事だなと思っています。
テレビなどで、子どもには、「親が亡くなった後になって顔を見せておけばよかった」という後悔が多い、というものを見たりしたので、できるだけ電話をしたり、いくら忙しくても会える時に会っておきたいなと思っています。なかなかできていないんですけど。
あとこれはしたことがありますが、スライドショーやムービーを作ったりしていました。
誕生日から次の誕生日までの1年の間の、実家に帰った時やご飯に行ったりした時の写真や動画と、家族からもらった一言を組み合わせたものをお父さんに作りました。去年の年末は帰れなかったので、姉にデータを送って実家で見てもらえるようにしたりしました。
本当はお金を送りたいというのがありました。
自分の貯金ではなくて、例えば親孝行貯金みたいなものを作って、旅行とか行きたいなと思っています。旅行に行きたい時に貯金を崩すんじゃなくて、親孝行用の貯金があったらすごくいいなと前から考えていました。
貯金から必要な時に引き出すというのもいいんですけど、親のために使うお金として使った時にどれだけ親のために使ったのかが分かる方が、自分もやりがいがあるなと思います。
出産したことで、より家族のつながりや関わり合い方に興味をもつように。
母とお世話になった祖母それぞれに、母の日、誕生日、敬老の日の贈り物を10年以上続けているので、近年ネタ切れ感が否定できません。
良いものがあればぜひ教えてください。