「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン。
突然ですが、皆さんはアイキャッチ画像のような会話を普段されていらっしゃいますか?
今回はこんなトークを日常的にされている金元龍輝さんにインタビューをさせていただきました!
トークから分かるかと思いますが、本当にお母さん思いの、心根の優しさが溢れ出ているようなそんなお方でした。
中国で生まれ愛知で育ち、両親の離婚、貧困生活を経験し、心優しい大人になられた金元さんのファミリーストーリーです。
目次
プロフィール
名前:金元龍輝
年齢:33歳(2021年1月現在)
職業:株式会社Golden Dragon
出身:中国生まれ、1歳から愛知県育ち
どのような家庭で育ちましたか。
僕の母親には、生みの親と育ての親がいます。生みの親が日本人で育ての親が中国人でした。
残留孤児で、第二次世界大戦の時に中国に残った日本人が僕のおばあちゃんです。そして現地のおじいちゃんと結婚して、生まれた子どもがうちの母親です。その生みの親を探すために日本に来たそうです。
でも結局会えませんでした。見つかったときにはすでにお亡くなりになっていて。
僕が9歳の頃に両親が離婚したんですけど、もう離婚間近という時にその悲報も報告されたという感じです。
父親は、勤め先でいじめに遭いました。大手車メーカーの下請けの工場で働いていたんですけど外国人差別を受けたんです。後ろから重い機材を背中に落とされたりとか、酷いいじめに遭いました。
それで父親が会社に働きに行かなくなって、毎日呑んだくれるようになりました。ただお金はなくなるので母親にせびるようになり、それが嫌になって離婚したという感じです。
母親は車を持っていたので僕を連れて、その時豊田に住んでいたんですが、名古屋までという感じです。詳しく言うと父親から逃げるために3回場所を移りました。愛知県内をうろうろして最後に行き着いたのが名古屋です。
僕を連れて出た後は、日中友好協会という会にお世話になりました。そこの事務所に助けを求めて、会が住む場所とかを手配してくれました。
父親は僕に対してすごく優しかったので、父親の気持ちもすごく分かるというか。実際父親は被害者でしかないので。だけど母の気持ちも分かる。
小学校4年生になるぐらいの時でしたけど、でも幼いながらにしてしょうがないというのは思っていました。そんな感じだったら別れちゃうよなって。合計3回転校しましたね。
父に会いたいというのはありましたよ。父親の写真が何枚か残っていてそれを隠して持ってたんですけど、ある日隠し場所を見たら、なくなっていました 笑。バレてましたね。
けっこう人のことを詮索する母親なので、エロ本を隠し持ってたときとかもすぐバレちゃってました。いつの間にかどっか行ってる。「あ、ない」って 笑。
父親は今消息不明です。
実は2回目の転校の時に、どういう調べ方をしたのか探偵を雇ったのかもしれないですけど、居場所が父親にバレて、学校に乗り込んできました。
しかもその時の教務主任が先生がバラしちゃったんですよね。こういう生徒いますかって聞かれて、「はい、いますよ。」って 笑。
「やばい、そういう人だったのか」みたいな感じで先生たちが止めに入ったので父と会うことはなかったですけど。
その教務主任の先生は結局飛ばされちゃったんですけど、縁なのか3回目の転校先にいて。しかも飛ばされたのに昇格して教頭先生になっていました。「飛ばされたのに昇格してる!」って思いました 笑。
正直、両親が共働きだった時は普通に暮らしてたんですよね。貧しいとか感じることもなく。すごく普通に暮らしていたのが、急に母子家庭になって。
ほんとリアルにダンボールでご飯を食べたり、家具とかテレビとかもなしの、ダンボールと新聞紙で寝ていました。お風呂はでっかいタライを買ってその中にお湯をためて入ったり、それぐらい貧乏な経験をしてたんですけど。
親は働きに行っているので、家に帰ったら1人なんで寂しいなというのはありました。
溜まってたのか、そういう状況にストレスはあったかもしれないですね。
親に反抗する時期もありました。
すごく子どもっぽいんですけど、ジャッキーチェンが好きで、録画をお願いしたら母親が録画してなかったということがあって。それで口をきかなかったっていう時期がけっこうありました。
グレたりとかはなかったです。なんとなくそれをしちゃいけないんだろうなと思っていました。
あと不良をそこまでかっこいいと思っていなかったというのもあります。
僕の世代の不良はなぜか真面目で。もちろん休み時間になると特定の場所でワイワイつるんでるんですけど、チャイムが鳴るとちゃんと教室に戻る、まぁまぁの成績を修めてる 笑。
僕は別にそこのグループに入ることもなく、ただただ普通の生徒、それが中学校時代です。
LINEのトークのような関係になったのはいつ頃からですか。
高校を卒業してからです。高校生の時期はあんまり口をきいていなかったですね。
高校を卒業してバイトをするようになってから、働く難しさやお金を稼ぐ大変さを知って、バイト代の3分の2を親に渡していました。それぐらいからですね。親の大変さを知りました。
高校を卒業したあとは2年間、語学の専門学校に入ったんです。そこで中国語を専攻して、その後愛知の大学に編入して3年間カナダに留学しました。
帰国してから、「そういえば自分のやりたいことをやっていないな、自分のやりたいことって何だっけ」と思い、俳優になりたいなと上京を考えました。俳優=東京に行かないと、と思ったんです。
大学に入ったのが遅かったので、大学入学が決まった時に母と一緒にご飯を食べに行きました。
その時に母親が、泣きながら「まさかこんなに優秀に育ってくれるなんて思わなかった。あなたの人生だから好きにしていいよ」と言ってくれて。
それもあったので、大学を自主退学して上京したんですけど、勝手に自主退学すると親は悲しむと思ったので、まずハリウッドに縁のある演技スクールがないか調べました。アクションを身に付けてアメリカに行きたいと思っていたので。
調べたら、「ラストサムライ」とか「47RONIN」とか、ハリウッドの日本が関係する映画にキャスティングをしている学校を見つけたんです。オーディションがあったので、それを受けたいと親に相談しました。
このオーディションに受かったら上京したいんだと言ったら、「受かったら上京していいよ。ただ落ちたらちゃんと就職してね。」と。
で、受けたら受かったので上京することが決まりました。
上京するということは親を1人にしてしまうので、すごく心配でしたね。
家族の思い出
けっこう仲が良かったと思います。
たしか小学校1年生か2年生ぐらいの時、僕すごくお母さんのことが大好きだったんですけど、学校から帰ると父の様子が変だったんです。変というか、ちょっとはにかんでると言うか。
父1人じゃないなというのが雰囲気で分かって、部屋の中を探してみたら押入れにお母さんが隠れていました。
僕がお母さんを大好きということを知っている父親が、お母さんを押入れに隠した、というかかくれんぼをしていたという思い出があります 笑。
上京したあとは母親とディズニーランドに行ったり、僕がお金を出して北海道旅行に行ったりとかしました。
母親に、旅行に行くとしたらどこがいいという感じで聞いて、北海道と言ったので北海道に決めた感じです。
札幌に2泊、プランニングは全部僕です。あの頃は時間もお金もあったので 笑。今は頑張らないといけないですけど。
今母は名古屋で一人暮らしをしています。
母親の誕生日が1月3日なので、毎年年越しは必ず実家に帰ってたんですけど、去年はコロナのせいで帰れませんでした。なので今年は帰ろうと思っています。
これから家族としたいこと
コロナが明けたら親と海外旅行に行きたいです。台湾とか行きたいですね。僕が行ったことないのと、台湾は中国語が使えるので母親が楽しめるんじゃないかと。
英語圏になると僕がいないと回れないですけど、台湾だったら母親1人でも回れたりするんじゃないかなと思っています。母は中国育ちで中国語ペラペラなので。
親孝行とは
自分の意見を押し付けるんじゃなくて、相談して決めるのが一番いいかなと思っています。
親が何をしたいのか、こっちはある程度考えて提案して、一緒に過ごすことが一番の親孝行かなと。
毎年誕生日に色々プレゼントをしてるんですけど、実際に会って何かを一緒にする方が、一緒に過ごす時間が、一番大事だと思います。
なので一緒に旅行するというのが一番いいのかなと思いますね。
今年はクリスマスマーケットで買った花のステンドグラスの置物をプレゼントしました。
母が花とか赤色が好きなのでこれ良さそうだなと思って。
去年は5万5千円の空気清浄機。僕が花粉症で辛かったので、鼻炎持ちの母も辛いだろうなと、よしじゃあ空気清浄機を買おう、という感じです。
高いから買うとかではなくて、良いと思ったから買うという感じですね。
プレゼントはカナダから帰ってきてから渡すようになりました。26歳の時からです。
留学できたのはやっぱり親のおかげなので。親のお金、親の同意がないとできなかったというのが大きいです。
同世代にメッセージ
コロナ禍で親に会えなくなりました。ほんとに何が起こるか分からないので、親孝行できるうちにしておいた方がいいと思います。
できる時にしておくということが絶対後悔しない。
例え一緒に住んでいても、一度いいことをすると次はさらにいいことをしないと、というプレッシャーがあるかもしれないですけど、それは考えずに。
僕も、5万5千円の空気清浄機を買った後もっと高いものを買わないとって 笑、そういうのは考えずに。ただ良いと思うものをプレゼントする、でいいと思います。
自分にプレッシャーをかけず、良いと思ったから勧めたよ、というようなスタンスで。大切に思っている気持ちが大事だと思います。
出産したことで、より家族のつながりや関わり合い方に興味をもつように。
母とお世話になった祖母それぞれに、母の日、誕生日、敬老の日の贈り物を10年以上続けているので、近年ネタ切れ感が否定できません。
良いものがあればぜひ教えてください。