「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン。
今回は筆者の元同僚で、現在ヘルステック企業の営業として、「人生を楽しむための源泉・資本」であるヘルスケアの大切さを世に広めている柴垣さんにお話を伺いました。常に鷹の目で俯瞰することを忘れない優秀な営業マンである彼がどのように成長してきたのか、そして父親としての愛情の注ぎ方・子育てについて話してくれました。
目次
プロフィール
名前:柴垣 宗大(のりひろ)
年齢:32歳(2021年2月現在)
職業:ヘルスケア事業を展開する企業の営業職
出身:神奈川県
ご家族のことを教えてください
沖縄県出身の母と神奈川県出身の父、そして、3歳上の姉と10歳下の弟がいます。実家は神奈川県の座間市にあって、社会人になって家を出るまで約21年間、座間で育ちました。母は専業主婦、父は金融関係の仕事をしていたこともあり、私が小さな頃は家にほとんどいませんでした。私達が起きる朝6時前には家を出て夜遅くに帰ってくるので、日常的に接することは少なかったですね。
最後に座間に帰ったのは2年以上前ですし、姉弟含め家族とのやりとりはほとんどないです。一番最近会ったのは、1年半くらい前に父方の祖父が亡くなって、その葬儀に父と弟と行ったときです。一番最後に家族5人で食事をしたのは、10年くらい前に私が結婚するときの顔合わせだと思いますし、全員で旅行をしたのも私が小学校低学年の頃が最後ですね。
でも、仲が悪いわけじゃないんです。実家に帰ったときも普通に食事して話しましたし、母の日には花を送ったりします。それに、息子2人にも会わせてあげたいなと思うんですけど、コロナも言い訳になって、なかなか会えてないですね。いまだに、私も含めお互いが「いて当たり前」って感覚なんでしょうね。基本的に関係が薄いんですよ。仲は悪くない、でも、悪くなるほど濃くもないっていうか。
どんなお子さんでしたか
割と物事を俯瞰して見ちゃう子供だったんですよね。あと、ルールとか型にはめられるのがすごく嫌だったのを覚えています。
幼稚園の頃、朝礼で生徒を整列させるために先生が「♪トントンまーえ、トントンまーえ」って歌いながら、その場で行進させるんです。で、いよいよ朝礼が始まりますよってときに先生が「ピー」って笛を吹いて、「ちっちゃく前へならえ!」って言うとピッタリ一列に並ぶんですよね。そしてみんな喜んで前へならえするんですけど、その時私「最初っからそう(前へならえ)すればいいじゃん。『トントン前へ』のところ要らないよね。」って思ってたんです。早く並ばせることが最終的な目的なのに「大人はなんで余計なことするんだろう、バカなのかな」って 笑。
小学校の登校班も「これ要らないな。」と思ったので、みんなと一緒に登校するのを辞めて一人で学校に行ってました。最初のうちは登校班のメンバーが迎えに来てくれたんですけど、私がすぐに出ていかないので、「もういい」って迎えにこなくなっちゃいました。
反抗期も激しかったです。小学校後半から、中学生…高校生も入って、だいぶ長かったかな。
言葉尻はひどかったです。それこそ「くそばばあ」みたいのは結構当たり前でしたね。他の家と比べて特にってことはないんですけど、若干母のしつけが厳しかった。「こうしなさい、こうしなきゃだめよ。」って言われることが結構多かった気がするんですよね。
だから、あんまり親にべたべたもせず、早いうちに脱皮しちゃったんですよ。でも、幼稚園、小学生、中学生もそうなのかなぁ…頭では分かっていても、言語を使って大人を論破したりロジカルに説明して正当性をアピールすることはできなかった。だから、「うるせー」ってなってたし、その頃から何でも自分一人で決めるようになりました。
成長過程でご両親との関わりは
小さい頃は、母と一緒に遊びに行ったことはありますかね。幼稚園に入る前くらいまでは、近所にある公園に散歩に行って、土遊びとか木の実拾いをして遊んでた記憶がありますけど、幼稚園とか小学校に入ったくらいからは、友達と遊ぶことが増えました。ランドセルを家に置いて、どこに行くとは特に言わず家を飛び出して、誰かしらの家や小学校でずっと遊んでいましたね。親も私がどこで、誰と遊んでいるのか知らなかったと思います。
小・中学校とサッカーをやっていたんですけど、親が試合を観にきたのもほんとに数える程度でした。毎週のように観にくる親御さんとかいるじゃないですか。そういうのではなくって、要所要所で観にくる感じでしたね。小学校の卒業試合に父親が観にきてくれて、一緒にボール蹴ったりしたんですけど、終わったあとにチームのメンバーから、「のりくんのお父さん初めて見た!」って言われるくらい、父親が観にきた記憶はないですね。
進路とかも、相談しなかったです。神奈川県で有名な監督がいる高校にサッカー推薦で入学したんですけど、入学してすぐサッカー部辞めちゃったんです。サッカーを辞めて、当時格闘技が流行ってたのでボクシングを始めました。もちろん、「ボクシングやっていい?」とか、親に相談しないんですね。当時未成年なので、ボクシングジムに入会するときに親の承諾書が要るんですけど、それも自分で書いて出しました 笑。アルバイトをやっていたのでお金も自分で払ってましたね。
当時何かしらの話から、父親とボクシングの話になったんですよ。私が「(ボクシング)始めた」って言ったら、父親が「俺と一緒だ」って言ったんです。実は父親も一時期ボクシングやってたらしいんです。そこは何か親子なんだなってちょっと感じましたね。でも、父親が何でボクシングやってたかは知らないです。そこは深堀りしにいかなかったんで、「あー何か親子なんだな」で終わりです 笑。
何となく用具とかが揃っているのが横目に見えるので、母親は心配して「(ボクシング)やめなよー」とか言ってましたね。ただ、ある程度物心ついてからは、人に迷惑がかかるとかそういうことはもちろんしないですけど、親が何と言おうと、自分でやるってなったら結局やるんで、親もそのころは諦めてるんですよ。「言っても聞かない」って。
だから、親に干渉されたとか、親の影響を受けたみたいのがあんまりないんですよ。当時、「自分はこうしたいんだけれども、親がこう言ってるから自由な選択ができない。」って話してる友達に対しては、あんまり深く考えなかったんですけど、正直「だったら、言うこと聞かなきゃいいんじゃん」って思ってました。
お母様はどんな方でしたか
小さい頃は、食べるときのマナー、特に箸の持ち方が悪いのだけは結構言われ続けていた気がします。変な持ち方していると、「ぱしん!」って叩かれたことが何度かあったかな。
中学校とか高校生の時に当時好きな子とか付き合ってる子と、家の前の公園で一緒に居たり自分の部屋に連れてきたりすると、対応がすごく冷たかった。「なんなのあの子。こんな遅くまで出歩いて。」って、当たりが強かった。もしかしたら、「誰なのー。付き合ってるのー?」って聞きたかったのかもしれない。
でも、初めて妻を母親に紹介したときは、ウェルカムってほどではなかったですけど、受けは良かったですね。「どこの出身なの?」って自然に会話が始まったりして。妻の立ち振る舞いがしっかりしていたからかもしれないですけど。
母親は多少(私のことが)気になっていたんだと思います。大学生の時1年間だけ千葉で一人暮らしをしていたときも家に来ましたし、私が社会人になってからもすごく心配していましたね。
ご姉弟とのエピソードはありますか
弟に対して心残りというか申し訳ないなってことがありますね。私が小学校4年生の頃に弟が生まれたので、10歳違いなんですが、弟が4~5歳の頃、母親が惣菜屋か何かでパートを始めたんです。たまに夜勤の仕事があると、弟は「お母さんがいない」って寂しがって泣くんですよ。弟のことは好きだったんですけど、当時私は中学生で思春期真っ只中。まだ精神が子供だったので、夜泣かれると「うるせー」としか思わなかったんですね。
弟が寝てる部屋に行って、「うるせぇ黙って寝ろ!」って脅かして自分の部屋に戻るっていうのをしていたことがあって。弟がこの話を覚えているかわからないですけど、トラウマとか人生に響いちゃってたら申し訳ないなと。やり直したいとまでは思わないですけど、当時もっと自分に余裕が持てていたり、大人になれていたらなって思います。
どんな「親」を目指していますか
小学校2年生と、幼稚園年中になる息子が2人います。
自分の幼少期の裏返しかもしれないんですけど、大人になっても、お互いに話せる関係がいいですね 笑。息子が20代とか30代になっても、「父ちゃんさぁ」って声をかけてくれて、それこそ進路とか社会に出るときに相談してほしいです。でも、いざそうしてきたら、そっけない回答をしちゃうかもしれないけど、少なくとも息子たちには相談してきてほしい。
妻には「もう、スキンシップがしつこいよ」って言われるんですけど、子供に対して毎日、「パパは2人のことが世界一大好きだよ」って普通に言ってます。「そういう風にしよう」って、前から思ってたわけじゃないですけど毎朝と、夜帰ってきたら「ただいま」を言ってほっぺたにチューをしながら「大好きだよー」っていうのをしつこくやり続けています。最近はもう、上の子は大きくなってきたので「もうやだ」とか「あっちいって」とか言うし、下の子もお兄ちゃんの真似して「もうやだ」って言うんですけど。
今後子供たちの人生の中で、もし何か失敗したりとか、批判されたりしても、親である私と妻だけは「絶対に、きみを愛している人がいるからね」っていうメッセージを伝えていきたいです。例え本人たちにウザがられたりしても、いつか困難に直面したときに「誰かに愛されてる」ってことを思い出してくれれば、折れずに強く生きてくれるんじゃないかと思って、無駄に愛情を注いでいますね。
子どもたちには、自分で考えるようにして、(誰かの)言いなりになってほしくないなって思います。「人から見て優等生」というよりは、自分なりに考えて自分の意思を持っていってほしいなっていうのはありますね。何事も自分で決められる人になってほしいです。でも、さっき「(進路や就職のときに)相談してほしい。」っていう発言とは矛盾しますね。自分で決められる奴は人に相談しないんですよ 笑。
あと、あんまり子供扱いはしないようにしてます。たまに、子供と話すとき敬語だったりします。命の危険や身の危険は親として絶対に避けさせなきゃいけないけど、それ以外の考え方とかは押し付けないようにしています。親の都合で「あれはダメ、これはダメ」とかじゃなくて、尊重して一人の人間として扱おうっていうのは思いますね。それは、自分が小さいときにある程度自我が芽生えるのが早かった影響が大きいのかもしれません。普段見ている感じ、上の子はその辺の感度が高い気がしていて、私よりも(感度が)高いかもしれない。それこそたぶん、知識量は大人より少ないので言語化できていないですが、感覚的には分かってるんでしょう。以前に妻が「これはルールなんだから!みんなこうしてるんだから!」と怒っていたときに、上の子が自分の意見を言っていたのを聞いて、「成長したな。」って思いましたね。
最後にメッセージをお願いします
親と会えるのはあとどのくらいだろうと思うと、今のような1年に1回も一緒にいないようなペースだと、私はあと合計10日も無いんだろうな…。しばらく行けてないので、久しぶりに実家に立ち寄るのも悪くないかもと思いました。子どもたちとの写真はいっぱい撮っているんですけど、親姉弟との写真が全くないので、落ち着いたら旅行にでも行って写真を撮りたいなと思います。
「大事な人と一緒に過ごせる時間には限りがある。だから、一緒に居られる『今』を大切に生きよう。」を、一人でも多くの人に伝えたい駆け出しライター。