「この道を選択して本当によかった」少年が叶えた夢と親孝行とは

30代にとっての家族

「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン

中学校卒業後の進路を決める際に、家庭や家族のことを思って選択をした方はいらっしゃいますか。恥ずかしながら、私は当たり前のように「どの高校を選ぶか」「どんな高校生活を過ごすか」しか考えていませんでした。机を並べて共に学び、青春時代を過ごした同級生のA.F.さんは、そのとき人生の方向性を決める大きな決断をしました。陸上競技でのオリンピック出場の夢を諦め、新しい舞台で夢を実現させた彼の生い立ちと家族についてのお話です。

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プロフィール

名前:A.F.
年齢:35歳(2021年3月現在)
職業:会社員

これまでのキャリアについて

精密機械の商社で、機械系エンジニアとして営業部門と共同しながら新しい技術をクライアントへ広める活動をしています。クライアントが全世界にいるので、海外で仕事をすることもあります。2018年頃から約2年間、シンガポールにも駐在していました。中学を卒業してすぐ、現在勤務している企業が運営する工業高校に入学して機械系エンジニアの勉強を始め、卒業後正式に仕事をスタートしたので勤続20年になります。大学卒業後に就職した同級生と比べるとベテランの域ですね。

自分のことは自分でやる。周囲から頼られた少年期

フィリピンで生まれて3歳の頃に日本に来ました。最初は都内に住んでいましたが、小学校入学と同時に千葉県船橋市に引っ越しました。(自分は)長男で、弟と妹が3人いて、フィリピンに住む姉がいます。

両親が共働きだったので、幼稚園の送り迎えをしたり、代わりに弟妹の面倒をみるようになりました。母がフィリピン人で、当時は日本語が流暢じゃなかったし、日本の文化もよくわかっていなかった。父も建築関係の職人で細かいことを気にしない性格だったので、弟妹の面倒は自分がみてあげないとなと思っていました。

自分のことも自分でやらなきゃと思い、身の回りのことをやりながら色々な知識を吸収しているうちに、周りの友達から頼られるようになっていきました。自分としても頼られるのが好きだったので、次第に学級委員を任されたり、リーダーシップを取るようになりました。

周りの人たちのことを気遣ったり、考えたりということはよくしていましたし、「(自分を)犠牲にしてでも人のためにやってあげたい」という思いがあるので、自然と周囲の人が自分を頼ってくれるようになったのかもしれません。それは大人になった今でも変わらないですね。

一度は諦めたオリンピック出場の夢。形を変えて実現することに

中学卒業後の進路を決めるタイミングが、丁度家計の厳しい時期と重なりました。弟妹が中学生になるタイミングでもあったので、金銭的に自分が高校や大学に進学するのは厳しい、手に職を付けて早く社会に出たほうがいいんじゃないかって悩んでいたんです。

当時、陸上部に所属していて、高校のスポーツ推薦がもらえるくらい市内では成績もよかった。高校に行ってからも陸上を続けて、オリンピック出場を目指したいとも考えていました。

進路の悩みを打ち明けると、当時の担任の先生が本当に親身になって相談に乗ってくれて、企業が運営する工業高校を探してくれました。その高校は、職についてスキルを身につけながら学校の勉強も継続できる環境でしたし、陸上部もありました。

有名なコーチや先生がいるわけではありませんでしたが、陸上がやれる環境さえあれば続けられるし、家族への金銭的な負担を軽減しながら自分の思いも叶えられる環境だったので、一番いい進路だなと思い進学を決めました。

県外にある高校だったので、地元を離れて1人で寮生活をすることには抵抗がありましたし、本当は地元の友達と学校帰りに寄り道したり遊んだり、そういうこともしたかったです。スポーツ推薦の話も辞退しなくてはなりませんでした。それでも間違った選択ではなかったと思いましたし、何より「本当は高校に行かせてあげたいけど、そういう道を選択してくれて助かる」と親も喜んでくれました。家計に負担を掛けることはほぼないので、あとは弟たち(の教育に)に専念してもらいたいと思っていましたね。

働きながら勉強をすることができたし、最終的には大学レベルの教育まで受けることができた。その後、技能オリンピック(技能五輪国際大会)への出場という形で世界の人達と競争する夢も叶いました。陸上でオリンピックに出るという夢や目標は変わりましたが、世界中の人と競争して文化を学び、一緒に仕事をするという形で実現したんです。この道を選択して本当によかったと思っています。

それに、地元を離れたことで、帰省のタイミングに大勢の友達が集まって定期的に会うこともできるようになりました。ずっと地元にいて近しい距離にいたら、数人で固まって遊んで関係が途切れてしまっていたかもしれないですね。

家族とのコミュニケーションとこれから

特別なことはしていませんが、母はfacebookが好きなので、写真で家族の状況は逐一情報が得られるし、投稿に「いいね」をするようにしています。メッセンジャーでも連絡を取り合いますね。

母は日本語が話せますが、書くのが苦手なので英語でやりとりをしています。文章としての共通言語は英語です。シンガポール滞在中に英語を勉強できたおかげで、言いたいことが文字ではっきりと伝えられるようになりました。それまでは日本語で電話で話すのがメインでしたが、英語を習得して表現の幅が広がったことでコミュニケーションの頻度と質が上がりましたね。大型の連休には実家によく帰っていましたが、最近はコロナの影響があってなかなか実家に帰れていないです。

妻と結婚してもう少しで10年になります。いつでもお互いのことを思い合える家族を目指していますね。自分自身もずっと家族のことを思って行動してきたし、妻もそうしてくれているのを常日頃から感じます。海外駐在のとき、妻は自分の仕事を辞めて、シンガポールへ一緒にきてくれました。

自分たちの家庭の中だけではなく、お互いの両親のことも思い合える家庭・家族であり続けたいですね。お互いに思いやりを持ち続けることができれば、いい関係がずっと続くと思っています。まずは自分自身が、(家族に対する思いを)持ち続けることを忘れないようにしたいですね。

家族との思い出はフィリピン旅行

小学校低学年の頃、家族全員でフィリピンへ帰って、プール付きのホテルを一棟貸し切って、いとこたちと一緒に遊んだことですね。バスケットボールやビリヤードをしながら楽しく過ごしました。弟たちがまだ小さかったので、僕が手を引いている様子が写真に残っています。

今はもうそれぞれが家庭を持ってしまったので、全員でフィリピンに行くのは実現が難しい。でも、両親の年齢も年齢なので、もう1回くらいは行きたいですね。コロナが落ち着いたら、国内でもいいから旅行に行きたいなと思います。今だと海外は金額的にも期間的にも簡単には行けないことを考えると、(フィリピンの家族旅行は)あの時しかできなかった貴重な体験だったと思います。

お互いの気持ちを確かめられるように言葉を交わすことが第一歩

親孝行としては、やはり中学卒業後に家を出て独立したときのことが一番大きいですね。親に金銭的な負担を掛けないことが当時の親孝行でした。でも、当時は親も嬉しかった反面、心のどこかに「(本当は)家にいてほしい。離れたくない。」っていう気持ちが、特に母親にはあったと思います。

だから今では、「お互いに元気でいようね。」って思い合えることが親孝行につながっていると思いますし、お互いの気持ちが確かめられるように言葉を交わすことが第一歩だと思います。具体的な行動は人によって色々なパターンがあると思いますが、お互いに思い合うことが親孝行ですね。いざ電話を掛けてみると会話がそんなに長く続かなかったりしますけど、元気な声が聞けるだけでも安心ですよね。

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