「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていくことが出来る家族孝行バトン。
前回インタビューさせていただいた河野さんからバトンを繋いでいただき、
今回は東京メトロで車掌をされている方にインタビューをさせていただきました。
家族孝行バトンを繋いで下さった方の記事はコチラ↓
https://media.aoitori.family/twenty-family/story3/
目次
プロフィール
名前:鶴ヶ野 泰志
年齢:25歳
出身地:福岡県
職業:東京メトロの車掌
どんな家庭で育ちましたか?
自由にさせてもらいましたね。
勉強しろとか、これをやりなさいとか、進路に関しても何も言われなかったですね。
父はJR九州の車掌をしているので、いつの間にか父の仕事の影響を受けていましたね。
僕がこの仕事に就いた時は喜んでくれていたみたいですよ。
直接口にはしなかったですけど、父の友人から聞かせてもらいました。
小さい頃にお母さんから「お父さんが乗っている電車に乗りに行こう」と言われて、父が乗務していた電車に母と乗ってたりしていたのを覚えています。
また、家のベランダから電車が見えたので、父が乗っている電車が通った時に手を振ったりしていましたね。
どんなご両親ですか?
父は口下手であまり多くは語らない人で、母はよく話す人ですね。
なので母と話す事が多かったです。
母はよく本を読むので、僕も本を読むようになりました。
中学校の時は野球のクラブチームに所属していたんですけど、いつも母に送り向かいをしてもらったり、お弁当を作ってもらったりしていましたね。
いつもグランドに来て応援してくれていました。
家族の大切さを感じる瞬間は?
自分が一人暮らしをしてからですね。
米とか作ってもらった物を送ってもらったり。
大学でも野球をしていたのですが、ユニフォームも洗うのも大変なんですよ。
それを中学校の時は当たり前のようにユニフォームを洗ってもらっていたなーとふと思って。
改めて感謝しましたね。
家族の大切さって身近だったから中々感じる事が出来ないですよね。
離れてみて家族の大切さに気付きました。
大切にしたい家族との思い出
小学校に入る前に毎週のように公園に連れて行ってもらっていたのを覚えています。
父と母の3人で行って、走り回って遊んでました。
小さい自転車に乗ったり、野球とかサッカーしたりしてました。
あと、僕が大学3年生の夏に全日本大学軟式野球選手権に出場した時に、父が一人で長野県まで飛行機と新幹線に乗って応援に駆け付けてくれました。
僕は試合があったのであまり一緒には居られなくて。
グランドで少しだけ話すことが出来たぐらいでしたけど、わざわざ仕事を休んでまで福岡から長野まで応援に来てくれたのは嬉しかったですね。
子供時代に印象に残っていること
中学校の時に肘を怪我して半年ぐらい野球ができない時期があったんですよ。
週4ぐらいで通院していたことがあって、その時は毎回親が車で病院まで連れて行ってくれていました。野球が出来ないことでのストレスがあった時期で、その時に何も嫌な顔をせずに毎回送ってくれて。
病院の帰りにモスバーガーに寄ってくれていたのを覚えています。
あなたにとっての家族とは?
一番身近な存在ですね。
嬉しいことがあったり、嫌なことがあったりした時に、詳しく話すのは家族です。
僕は相談とかあんまりしないんですけど、困った時に一番頼れる存在だし、僕にとっての一番の味方ですね。
家族でやりたいことリスト
ニューヨークに連れて行きたい
母がニューヨークに一回行ってみたいと言っていたし、僕も野球を観てみたいですね。
父は基本的に自分でどこに行きたいとかなくて、いつも僕や母が行きたいところに連れて行ってくれます。
同世代の方へのメッセージ
10代の頃って、言葉として「ありがとう」て中々言えないので、直接言えば家族の繋がりはもっと良くなると思います。
大学を卒業した時と社会人になった時に「ありがとう」としっかりと伝えました。
親は照れてましたけど(笑)
元々、家族は仲良かったけど、もっと仲良くなりましたね。
身近なことまで話すようになりました。
親が定年を迎えるので、これからは自分が感謝を伝えていく時ですね。
もっと色んなことをしてあげたいと思うようになったので、これからは親孝行ですね(笑)
株式会社青い鳥(https://aoitori.family)
代表取締役 中村 昌史
福岡県宗像市出身
「親孝行」を通じて世の中の家族に幸せを運ぶ事業を行なっている。