「あなたにとっての家族とは?」
様々な「家族観」に触れることで自分の「家族観」を見つけていく家族観バトン。
今回は、生まれ育った神戸を離れ、東京で一人暮らしを始めて5年。リモートワークの環境下で少し寂しい思いをしながらも毎日を明るく生きている、おむらいすさんにお話を伺いました。神戸と東京、物理的な距離が離れている中、家族とのほっこりするやりとりと、親孝行の在り方にちょっとだけ揺れる20代女子の想い、ぜひご一読ください。
目次
プロフィール
名前:おむらいす さん
年齢:29歳(2021年2月現在)
職業:会社員(マーケティング、顧客サポート担当)
出身:兵庫県
生い立ちについて教えてください
兵庫県神戸市で生まれ育ちました。神戸の三宮から電車で30分くらいの住宅地に家があって、就職してからも会社に近かったのでずっと実家暮らしでした。転勤があって初めて実家を出たので、親離れは結構遅かったかもしれないです。社会人2年目のときに東京で生活を始めて、もう5年になります。
母曰く、幼少の頃はあまり喋りたがらない子供だったらしいです。幼馴染の3人組がいたんですけど、他の2人は、「今日こんなことがあった。」とか「先生がこんなことを言っていたよ。」とブワーって喋るタイプだったんですけど、私は違ったみたいです。親から今日どんなことをしたのか聞かれても、「わすれたー。」とか言って何も言わない子供だった。学校の情報が書かれている、親に渡してね、みたいなプリントがあるじゃないですか。そういうのはきちんと渡すんですけど、必要以外のことは積極的に話さない。親は幼馴染のお母さんから新しい情報を聞く感じだったようです。
中学校・高校の頃から少しづつ、初めましての人とも物怖じしないで喋れるようになっていきました。当時仲の良かった友達が社交的なタイプだったので、移ったんじゃないかと言われますね。その後地元の大学に進学して、3年生のときにゼミの先生の紹介で、学生記者を経験しました。中小企業の社長を取材して、新聞に載せてもらう活動をしていたんですけど、そのときに初めてスーツを買って、名刺の渡し方も学びました。
広告やインターネットに関わる商材を取り扱う企業に就職して2年目に、東京支社へ異動・転勤になります。私はあまり親に相談せずに決めるタイプなので、「東京に行こうと思ってます。」みたいな形で事後報告でした。父親は「全然いいんじゃない?」という反応でしたが、母はちょっと反対だったかもしれない。地元を離れたくない考え方なので、ショックを受けていたと思います。当時、ただでさえ終電以外で帰ったことがない程忙しかったので、めちゃくちゃ心配していました。多分、すぐにでも会社を辞めてほしかったと思います。
どのような家庭で育ちましたか
父・母・妹の4人家族です。父は自営業をしていて、母は専業主婦でした。母が私と妹に色違いの服を作ってくれたり、誕生日には4人でテーマパークへ行くような、ごく普通の家族です。
一度だけ荒波がありました。私が大学生の頃、親の仕事がうまくいかず、金銭的に苦しくなった時期があったんです。正直、それまでは年末に海外旅行に行けるくらい裕福な家庭だったんですけど、旅行なんてもちろんできない、持っていた車も手放さなきゃいけないという状況でした。
当時丁度タイミング悪く、会社の経営が行き詰まって命を断ってしまった人のニュースを目にしてしまい、「それだけはやめてほしい。」と思いました。会社のことは、父と2人で車に乗っているときに聞かされたんですけど、「家族が4人いればいいんじゃない?」と私から伝えたんです。無意識に何気なく発した言葉でしたが、父はその言葉を今でも覚えていて、心が救われたと言ってくれます。
母は当時のことを、「アクシデントがあったことで、家族の仲が深まった。」と振り返っています。それまでは、あまり苦しい状況がなくて、金銭面でも苦労がなかった。例えば、「やりたい。」と言った習い事も二つ返事でさせてもらっていましたけど、そういうのもできなくなりました。でも、そのとき初めて、お金じゃなく、「自分が家族にできることって何なんだろう。」みたいなことをそれぞれが考え出したんです。
私は、「大学を辞めて働こうかな。」とも考えました。当時3年生だったので、卒業まで費用が掛かるじゃないですか。結果的に、卒業まで大学に行かせてもらえましたが、そのときからめちゃくちゃお金にこだわるようになりました。今の会社に入るまで、正直年収を上げることしか考えないみたいな感じで、「家族のために自分が稼がないと。」って思っていましたね。
妹は頑張って公立の大学へ進学して、アルバイトをしてお小遣いを稼ぐようになりました。私は大学1年生の頃アルバイトもせず、実家暮らしでお金に不自由なく生活ができていた。そういう体験を妹はできなかったので、私が妹に何かしてあげたいなっていうのがめちゃくちゃありましたね。
普段ご家族と、どんなやりとりをしていますか
今年のお正月に帰省しました。コロナもあるしめっちゃ迷ったんですけど、でも、「帰ってきてほしい。」って言ってくれたので、初詣とか外出はせずにずっと実家にいました。
普段は電話もしますが、家族4人のグループラインと、家族の女子3人のグループラインがそれぞれあって、そこでやりとりをしています。私が家族の顔をイメージして作ったクッキーがアイコンになっているんですよ。クリスマスやお正月、節分にこんなことをしたよっていう写真を各々が投稿してくれるので、私は実家にいなくても雰囲気を感じることができます。私がプレゼントをした靴を履いて、妹がプレゼントをしたピアスを着けて出掛けたよって母が写真を送ってくれたこともありました。ラインを使って頻繁にやりとりをしていますね。
「親孝行」と聞いてどんなことを思いますか
東京で生活するようになって意識をするようになりました。知り合いの誰かから、「そもそも親元を離れて生活している時点で親不孝だよ。」って言われたことがあって。男性は「親元を離れて独り立ち」という、とらえ方もできるかもしれませんが、娘だと特に親不孝なのかもしれないなと思ったこともありました。
兵庫と東京で距離が離れているので、「何かしてあげたいな。」、「家族に不自由させたくないな。」って思うんですけど、どういう形でしてあげるのが親孝行なのか分からない。欲しい物を聞くんですけど、遠慮して「別にないよ。貯金しとき。」って要望を言わないんですよ。だから、プレンゼントをしたり、ちょっといいものをあげるとか、結局お金で解決するみたいな形になってしまっている。それが親孝行って言えるのかなって悩みます。
何気ない一言だったと思うんですけど、親に言われてショックだったことがあるんです。私、東京ではあまりお金を使わずに、貯金をして実家に帰ってたんです。コロナが拡大する前は、結婚式や他の用事と合わせて2ヶ月に1回くらいの頻度で。私は良かれと思って、帰省するたびに家族に焼き肉をごちそうしたり、貯めたお金を実家に置いていったりしていたんです。
なにかのときに、親が私にコンビニで物を買ってきてくれたんですけど、「私がお金を出すよ。」、「いやいや、いいよ。」というやりとりになり、結局私がお金を出した。そしたら、「何でもお金で解決しようとするやん。」みたいなことをポロッと言われたんです。向こうは深い意味で言ったんじゃないんですけど、それが結構ショックでした。こっちは家族のことを想ってお金を貯めて、ごちそうして、何なら現金を置いて、ということをしていたのにそういう風にとらえられていたのかと。
でも、多分的を得ていたからショックだったんだと思います。「何をしてほしいと思っているか分からない。」というのが一番もどかしいですね。親孝行で言うと、親はクライアントじゃないですか。真の要望が分からないまま、仮説を当て続けているみたいな感じです。それが刺さっているのかいないのか、いまいち実感がない。
多分ですけど、母が喜ぶのは現金というより手紙を送ってあげるとか、喜ぶのはそっちなんですよね。母方の祖母は神戸でそんなに裕福じゃない家庭で育って、父方の祖母は大阪の地主でお金持ちという家庭だったんです。例えば、父方は孫に「好きなものを買いなさい。」とお金をくれる。母方は孫が遊びに来るからと、ちょっといいアイスクリームを用意してくれる。私はどっちの祖母も大好きなんですけど、母曰く、私がしているのは大阪のお婆ちゃん寄りかなって。母親が求めているのは多分、神戸の祖母の気持ちの伝え方。でも、気持ちが伝わるいいやり方がまだまだ分からないですね。
親の気持ちって人それぞれじゃないですか。「何より生活費ほしい。」って親もいると思うし、「お手紙をもらえると嬉しい。」って親もいる。私が何気なく送った、友達と撮った写真を大事に保存してくれていたりもするので、「え、これ保存してんねや。」ってちょっと意外だなと思うこともありました。クライアントの要望が分からず、仮説を当て続ける子ですね。
同世代へのメッセージをお願いします
親孝行は子供の義務です。三大義務 笑。「元気に生きる、悪さをしない、親孝行をする。」そして、頻度は少なくとも、実家に帰るべし。顔を見せて喜ばない親はいないと思います。まずは顔を見せることだと思います。今年はコロナの影響もありますが、私達の年代って、「実家に帰るの面倒くさいし、正月は東京で過ごします。」みたいな人が多い気がします。男性・女性関わらず、子供が実家に帰ってきて喜ばない親はいません。1年に1回だけでも顔を見せましょう。
「大事な人と一緒に過ごせる時間には限りがある。だから、一緒に居られる『今』を大切に生きよう。」を、一人でも多くの人に伝えたい駆け出しライター。