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<プロフィール>
・名前:奥寺裕貴
・年齢:22歳
・所在地:東京
大学4年生の奥寺裕貴と申します!
宮城県生まれで、現在は法政大学に通っています。
卒業後は株式会社パーソルプロセス&テクノロジーで働きます。趣味は海外サッカー観戦、テニス、ラーメン屋巡りです。特技は麺を湯切ることです。
今回のインタビューがきっかけで、久しぶりに幼少期の頃を思い出しました。両親にしてもらったことを、自分の子供が生まれたときにもしてあげたいです。私のインタビューがきっかけで、親孝行する人が増えたらいいですね。
Q.どんなご家族ですか?
両親と兄の4人家族です。
父は、三兄弟の長男で県でトップの高校を卒業し、大学では経済学部を卒業しています。卒業後は地方銀行に就職し、新卒から55歳になる現在まで同じ銀行に勤めています。母は、三兄弟の長女で宮城県でも田舎の高校を卒業し、短大を卒業した後は父と同じ地方銀行に入ったそうです。現在はパートとして働いています父親(自分から見たら母方の祖父)が建設業を営んでいるのですが、その厳格な父に育てられ、心に強い芯を持っています。
Q.ご両親について教えてください
父はまじめだが優しさがある人だと思います。特に勉強に対してはかなり厳しかったです。中学校まで進研ゼミを受講していたが、私と兄がそれを貯めているとかなり叱ってきていました。学校の成績や志望校をかなり気にしていました。昔から新聞は毎日欠かさず読み、読書もかなりしています。昔から門限が厳しかったですね。私が大学生になっても実家に帰省した時は夜遅くまで飲んでいると怒られました。ただ、子供が興味を持ったことになんでも挑戦させてくれます。釣りやキャンプ、テニスやスキーなど、やりたいといったことを何でもさせてくれました。また、愛妻家だなと思います。母の料理に対しておいしいと毎回言ったり、今でも二人で旅行しています。夫婦喧嘩も見たことないですね。息子が母に怒られるときは必ず母側に立って加勢してきます。
母は、世話焼きで心配性なタイプです。部活の送迎、家事など息子2人の身の回りのものをなんでもこなしてくれていました。父と同じで門限には厳しく過ぎたら外に立たされることもありました。また、防災マニアで地震が起きた時のためにめっちゃ備えています。2011年の震災の時はそのおかげで美味しいご飯も食べられました。
Q.ご両親との思い出を教えてください
兄の影響でずっと国公立の大学に行ってほしいと言われていたが、高3の秋くらいに、自分に一番合って学びたい学問を学べる法政大学に行きたいとお願いしたら「やりたいことをやりなさい」と応援してくれたのですが、少し悩んでいる様子でした。母親が「行きたいところに行かせてあげれば」と父親に言っていたのが聞こえました。それがすごく印象的ですね。
Q.幼少期からのご家族との関係性を教えてください
幼少期は兄と両親がなんでも世話をしてくれていたので何にも考えていない赤ん坊だったと思います。至れり尽くせりな感じでしたね。1番覚えているのは元々、左利きだったんですけど、橋や鉛筆の持ち方を右利きに修正してくれたことです。
小学校の時から勉強について厳しく言われていました。習字を1年生の時から習い始め、少し遠くに引っ越してからも送迎をしてくれました。兄と一緒に水泳やテニスをしていたのですが、両親が休日の練習や試合の応援など自分の時間を犠牲にして積極的にサポートしてくれていました。学校の成績は上の方でしたが、勉強をしないと叱られることが度々ありました。学級委員をすることが多く、「真面目で素直」という言葉が毎年の通信簿に記載されていました。ただ勉強以外のセンスはなく、才能が無いことや兄に負けることで落ち込むことが多かったが、親が励ましてくれました。父は仕事で朝早く、夜も遅いイメージがありました。この頃から、仕事に対するネガティブな感情が出てきました。
中学では学校外で硬式テニス、部活で陸上部に所属していました。陸上部がつまらなくて何度も親に辞めたいと言ったが、絶対にやめさせてくれ無かったので、結局最後まで続けました。硬式テニスの成績がなかなか上がらず、かなり劣等感を感じていました。同世代はもちろん、女子や年下に負けることもざらにありましたね。それでも両親に続けることを刷り込まれていたので、辞めるという発想には全く至らなかったです。兄弟2人が素直だったこともあり、反抗期も特になかったです。
高校は兄弟そろって同じ学校に行きました。硬式テニス部+応援団+テニススクールという三足の草鞋を履いての生活でありえないくらい多忙でした。これまでの学生生活で一番多忙だったと思います。しかし一番充実していたと言える三年間だったと思います。テニスのほうは成長期で、県ベスト8や選抜メンバーにも選ばれました。「続けてよかった」と心の底から思い、親に感謝するようになりました。この時、母は毎日弁当を作ってくれていました。高校3年生の初夏、母の弟が亡くなり訃報を聞いた後、母はショックを受けていましたが、親族や私たち家族を気遣う姿に真の強さを感じました。
大学の学部の部活動に「トレーナー」の枠があって、2年生から加入することができるので、2年の時に学生トレーナーとしてテニス部に所属しました。スポーツに関わるのは好きと思っていましたがやっていくとなると違うということに気がつきました。「好きなこととやりたいことは違う」ということを学びました。今年の正月は、ゴルフの打ちっぱなしに父親と一緒に行きました。去年は家族でテニスをしましたね。
Q.家族の大切を感じた瞬間を教えてください
一人暮らしを始めたことで、家事の面倒くささを改めて思い知りました。両親は仕事、家事、子育てをこなしていたと思うと尊敬します。現在は、家賃を支払ってもらっていることに感謝しながら暮らしています。
Q.普段両親にしていることはありますか
去年の誕生日は、母は猫が好きなので猫の置物をプレゼントしました。大学に入ってから送るようになりました。高校の時も兄と父と一緒にケーキを買うことがありましたね。高校の卒業式の時に、担任の先生が場を作ってくれて感謝の気持ちを言葉で伝える機会がありました。それ以来改めて伝えてはないですね。
Q.どんな親孝行をしたいですか
恥ずかしいですが、やるべきものだなと思います。ただ、具体的に親孝行と聞いてもパッと思いつかないので、僕たちの親世代の方から「自分が子どもにしてもらって嬉しかったこと」や「両親にしておいてあげたかったこと」を聞けるといいかなと思います。
横浜市立大学4年休学中の須藤唯です。
2021年12月より学生向けサービス開発をインターンとして関わらせていただいています。みなさんの「家族のカタチ」を教えてください!
「親孝行」についてまだまだ知らないことばかりですが、みなさんに良いサービスが届けられるように活動していきます。
よろしくお願いします!