大切にしてくれた両親が喜んでくれることをしたい

20代にとっての家族

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<プロフィール>

・名前:雨宮光汰
・年齢:20歳
・所在地:東京

Q.どんなご家族ですか?

 両親と兄1人の4人家族です。小さい頃は自分が悪ガキだったのでよく怒られていました。中学生以降は自分で自発的に勉強、スポーツを頑張ったので緩くなっていきました。そのおかげで、やりたいことは何でもやらしてもらったと感じています一方、あまり自発的に動かない兄には少し厳しかったと思います。なんかトラブルがあったときは、母は自分の味方をしてくれていました。兄は、ひとつ上の大学3生です。小学校までは結構活発だったのですが、中学校でいじめにあって引きこもりがちになりました。今も結構家にいることが多いです。

Q.ご両親について教えてください

 両親とも、とても自由な教育をしてくれました。
 父は、基本的に面白いことをしようとするタイプで結構目立ちたがり屋だと思います。中学の時に硬式野球をしていたんですけど、最初の2、3週間いきなりファンタのTシャツを着始めて、「ファンタおじさん」と言われてました。その後は一切見学に来なくなりましたけど(笑)また、動物園の坂道でスケボーしてたりと僕にはあまり理解できない行動が多かったです。父親のお父さんが有名な画家だったそうで、お金にはあまり困っていないと聞いたことがあります。大学生の時ボディービルをやっていたらしく今でも少しストイックな一面が垣間見えます。中学で野球やって高校でフェンシング、浪人する意思決定は全て応援してくれたと思います。母親はとても優しい人です。お金が足りない時にお小遣いをくれたり、買い物のついでに何か買ってきてくれたりします。高校が合わなくて高校を中退していたそうです。母親の親戚にお金があったらしく家に池があったらしいです。

Q.ご両親との思い出を教えてください

 父親が転勤族だったこともあり、小学校低学年まで色々なところに行っていました。
小学校2年生の時に、神戸に行ったことが記憶に残っています。そこで蟹を食べました。
また、神戸メリケンパークオリエンタルホテルに宿泊した記憶があります。2年前から父親が単身赴任で名古屋に行ってるんですけど、毎週末東京に帰ってきています。その時に今でも家族みんなで外食をしています。

Q.幼少期からのご家族との関係性を教えてください

 幼少期は、めちゃくちゃ可愛かったと思います。色々と近所の人に甘やかされていました(笑)
おもちゃやお菓子をいっぱいもらっていました。下校するときに、知らないおばあちゃんの家で遊んでたりしていました。今考えればよく分からないことをしていましたね(笑)この頃から家族とは仲が良かったです。よくチャンバラをして遊んでいました。兄と僕vs父親でやっていました。また、父親の仕事の影響で色々なところに行っていました。なので、すごい車に乗った印象があります。
小学校くらいまで、ずっと悪ガキだったのでおばあちゃんによく怒られていました。小学3年生の時から野球をやり始めました。兄が野球に興味があって、その影響ではじめました。クラブチームに入っていたのですが、めちゃくちゃ厳しかったです。小学生だったのですが、朝5時から朝練がありました(笑)小5くらいまでは2割くらいしか打てなかったんですけど、ちょうどそのころにコンセントに針金をさして爆発させてしまったことがあって、それ以降打率が3割5分まで上がり、小6の時に小学校選抜に選ばれました。周りからは「体が充電されたね」と言われていました(笑)
中学校でも野球をずっとやっていました。めっちゃ頭が悪かったです。評定平均2くらいでした。中3の時、韓国のチームとかがくる全国大会で優勝しました。ただ僕は怪我をしていたので大会自体には参加していないです。(笑)中3になる前に、野球のやりすぎで怪我をしてしまいました。怪我をしてから、部活をしないで時間ができたので最初は本を読んでいました。この頃から少し勉強に興味を持ち始めました。その時に、体育祭実行員長や学年の委員長、選挙管理委員長などをやって精力的に活動をし始めました。中3の時の評定平均は4くらいだったと思います。今考えると、野球で遠征行く時に車を出してくれたり、お弁当作ってくれたり、家族の支えがなかったら野球ができていなかったと思います。          高校受験では第一志望に受からなかったため、悔しさで高校一年生の時から勉強をしていました。その時か ら志望校を早稲田大学にしていました。しかし、学年で早稲田に届く人がいなかったため「無謀だ」と言われていました。部活動では、新しく始める人が多いと聞いたのでフェンシング部に入りました。生徒会長をやっていて、両立が難しく部活は途中でやめました。両親は、受験のサポートをしてくれました。塾代や参考書代など教育に関しての出費は拒まずしてくれました。そのおかげで自分で調べることができ、納得して進路を決めることができました。現役の時に某私立大学は受かってたけど行きたく無かったんですけど、そのわがままを受け入れてくれました。
大学に入ってから外出することが多く、家族との時間が減りました。ただ、基本的に毎晩夜は一緒に食べています。自分で稼ぐようになった影響か今までよりさらに両親の教育面での躾がゆるくなってきた気がします(笑)

Q.家族の大切を感じた瞬間を教えてください

 浪人している時に、1ヶ月間くらい一人暮らしをすることになったんですけど、1人って結構寂しいし、家事が面倒だなと感じました。その時に母親のありがたみを感じました。また、幼少期は兄が遊び相手になってくれていたので、兄のつながりで一つ上の人とのつながりを作ることができたり、受験においては兄の背中を見ているから学べたことが多かったと思います。

Q.普段両親にしていることはありますか

 20歳の誕生日に母親に花束と手紙を送りました。こういう節目にちゃんとしていないと、なにかあった時に伝えられなくなってしまうのかなと思って送りました。また中3の時にも、卒業を記念して、母親の誕生日にプレゼントを送りました。

Q.どんな親孝行をしたいですか

 親孝行される側が、それを「親孝行」と認識すればいいのかなと思っています。ただ、僕自身としては「世界から猫が消えたなら」という映画で両親に旅行をプレゼントする場面があっていいなと思ったので、旅行をプレゼントしてみたいなと思っています。また、他の親孝行のカタチが分からないので、そういう事例を紹介してくれるサイトがあれば見たいなと思っています。